西行伝説~讃岐香川県~

 

   歌聖西行は讃岐香川県へ慰霊の旅に来ている。その事実以上に伝説が多い。日本で一番多い讃岐西行伝説を訪ねて「随筆無帽」に連載、県外にも足を伸ばした。全国にはまだまだ西行伝説は残されているが、本書だけでも西行伝説のパターンは示されている。全国には類似する伝説が多くある。
 西行は、崇徳上皇供養と善通寺参拝のために、四国は讃岐に渡っている。仁安2年(1167)秋だった。『山家集』にはその時詠まれた歌が数多く残されている。また、上田秋成によって『雨月物語 白峯』に怪奇小説に仕立てられている。ここでは、その実像を追うのではなく、民間信仰における西行の存在がどのように位置づけされているかを探ってみたい。
 その伝承事項を次のように三分類したい。
(1)伝説・説話的なもの(文献的に史実として立証できないもの)
 善通寺伝説(善通寺市水茎の丘)月夜に芋掘りに来た西行咎めると歌を返して許された。「月見よと芋が子どもの寝入りしを起こしに来たが何か苦しき」

  綾上西蓮問答伝説
 西行「そこに居るのは童じゃないかわらびを採って手を焼くな」
 童「そこに居るのは西行さんじゃないかひのきの笠で頭焼くな」
 西行難行苦行したけれど萩のはねくそこれが初めて
(2)伝承のものがあるもの(歌は付加、具体的物語がないもの)

 雨乞歌(観音寺市豊浜町和田)伊予方面に修行の途、ここを過ぎし際に
 西行法師の物語かよ 聞くにつけては 情けをばかけよ かけされ おかけやれ
 腰掛石(綾南町滝宮)崇徳帝御製 菅公御詠 西行法師詠 三首併刻されている。
  自ら岩にせかれて諸人にもの思はする綾川の水  西行法師
 屋島裏参道七合目 宿りしてここに仮寝の畳石月は今宵の主なりけり 
 善通寺水茎の岡 直島の波にゆられて行く舟の行方も知らずなりにけるかも     
 引田伝説 あら鷹のしたも引田の浦なれば沖へにかかる白鳥の松
(3)古典作品で伝奇小説的に作品化されているもの
 雨月物語 『白峯』(坂出市五色台)崇徳上皇怨霊と西行法師の鬼気迫る対面