挽歌「たらちねの母」

 
 昭和42年9月26日63歳で逝きし 戦争未亡人垂乳根の母
 
 曼珠沙華茂く咲く径をははそはの柩挽く前に我は居たりき
 
 学校へ行けと言ふがに死に近き母は下顎動かす我に
 
 玄関より我が背に負ひ出でし時それが最後の門出となりし
 
 母すでになき母の部屋に立ち入りて母の寝姿描きみるかな
 
 綻びの大きくなりゆく手袋も母編みし故放されもせず
 
 寝る前に必ず母のもとに行きしその母の部屋今は灯ともらず
 
 他家に行き法事の読経聞く時も母の面影浮かべ目つむる
 
 吾子生まる我また母よりかく生まることは遥けし五月の末に
 
 気分よき時は句集を共に見しかの病室のベッドの恋し
 
 灯ともせばただちに障子打つうんか 母の名句の思はるるかな
 
 押入れの母の遺せし襤褸包み整理せむとて幾年が過ぎ
 
 母嫁せし時の箪笥は納屋隅に雪降るごとき静けさに立つ
 
 顔知らぬ祖母の絵も描き吾子千絵は懐しむごと我に寄り来る
 
 創作の核となりたる我が母をつくづく一人の女とみなす
 
 田植ゑ後は疲れて数日寝込みたる母を想へり田植機の今