悪文への免疫

『悪文』中村明
 
 名文を書こうとは思わないが、悪文を書きたくない。消極的ではあっても、その方が分かり易いし「為になる」だろう。他の人はどうか分からないが、自分自身が陥り易いように思う、そのいくつかを本文から抜き出しておく。
(例1)内面的なものの認識の仕方における青年らしい危機的な様相、すなわち、恐るべき自己分析や自己解剖、暗いじめじめした自己沈潜や自己凝視、二重自我とそれを癒そうとする必死の努力、我執とそれから脱却しようとするあがき…言わんとする意図のはっきりしない、難解な文。長文になるほど文脈はもつれ、読み手に不親切。
(例2)日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、…ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を制定する。(日本国憲法前文)…主語・述語、修飾語の係り受けがあいまい。頭がおかしくなる。
(例3)私の意見だが、最近の傾向ではないかと思うのだが、今回調査してみてわかったことであるが、このごろろくに基礎も身につかないうちに模擬試験だけ受ける生徒が多いが、…接続助詞あいまいの「が」が一文の中に二度現れたら、原則として悪文の兆候。あいまいな「が」は意識的に使わないようにしたい。
 本書はどのようにすれば、悪文から解放されるか、各章に逐次数多く述べられている。最終章には「悪文の変身」として「訂正案」が対比されていて、「推敲実演の現場」に招待してくれる。ただ、文庫本のため紙面の限度もあり、一項目についての丁寧な説明ができていないが、【この〈が〉…順接・逆接どちらともとれ、書き手自身、安易に使えて便利なのだ〈が〉】読者の判読熟慮が伴わなければならない。