水辺の歌人

『水辺の万葉集
 
 大伴家持に最も力を入れているのは、知る人ぞ知る越中高岡市。その万葉歴史館が平成10年からテーマ毎にかなり専門的な論考を刊行している。その初回のもの。
「水辺」をテーマに、新たな視点から海浜、湖沼池などに関わる万葉歌を取り上げている。
「水辺の歌人」とも言える家持。天平18年から5年間越中守在任中、219首の歌を詠んでいる。その中の自然詠76首の7割が水辺の歌だ。

  馬並めていざ打ち行かな渋渓の清き磯廻に寄する波見に(3954)

  奈呉の海の沖つ白波しくしくに思ほえむかも立ち別れなば(3989)

  布勢の海の沖つ白波あり通ひいや年のはに見つつしのはむ(3992)

 都から遠く離れて過ごす歌人に、この地の自然、特に北陸の海は歌心を誘われ、「心を遣る」ものであったことは、想像に難くない。
 海とともに川の歌も多い。国守であった家持が、国内の諸郡を巡行中に見た風景を詠んだものと思われる次のような歌もある。

  婦負川の速き瀬ごとに篝さし八十伴の緒は鵜川立ちけり(4023)

  立山の雪し消らしも延槻の川の渡り瀬鐙漬かすも(4024)

  飛ぶ鳥の明日香、そこを流れる明日香川。万葉には意外とこの川を詠み込んだ歌は少なく、4516首中20余首に過ぎない。明日香川の歌群には、川に寄せた男女の情愛と人の世の悲しみが多彩に表されている。
 海が歌われるのは、旅先である。伊予の湯の宮に行幸した時の額田王の歌

  熟田津に舟乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな(8)

 瀬戸内海を舟で旅する歌は、この有名な歌以外にも数多くある。遣新羅使人の瀬戸内渡海の歌も苦を身に負う人の歌だけに切なさがこもる。更には人麻呂の名歌の背景は、琵琶湖の「水辺」夕波である。

  近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのに古思ほゆ(266)

 以上の他にも各地の水辺の歌が12人の執筆者によって紹介されており、しっかりした内容の万葉学の書である。