天皇の始源と女性歌人

額田王の謎』梅田恵美子
 
 額田王が「あかねさす紫野行き標野行き…」と歌ったのに対して大海人皇子が「紫草のにほへる妹を憎くあらば…」と返した万葉の名歌、絶唱。万葉に惹かれる始まりは、この相聞歌からと言う人が多いと言う。ところが、この歌は雑歌に入っており、天武・天智と王朝興亡の謎が秘められている。その背後の歴史的背景を知りたいと思えば『日本書紀』でも読めばいいか、と言うと、そんな記述はほとんどない。特に額田王は謎に包まれた歌人であるがゆえに、多くの人が暗中模索の書をものしている。本書はその謎の部分を実に鮮やかに取り出し、鋭い史眼と推理力、そして女性特有の繊細さで文章を展開している。
 動乱の世の根源は、物部・蘇我・天武の結びつきと、天智・藤原・持統との結びつきの対立にあった。そして、物部氏の血を引くことが、額田王たち女性の人生を大きくて変えてしまった。天武系の主だった皇子たちも悲劇的な死を迎えねばならなかった。王権争奪のために数多くの暗殺劇を繰り返す時代に生きた額田王は、その現実に挑戦するかのように、歌の世界で自分の愛の永遠性を望んだのだった。また、自分と同じように政治に翻弄され、刹那にしか生きられなかった者への想いをこめて歌ったのである。
万葉集』には『日本書紀』の体制側で活躍した人物の歌は、ほとんど載せられていない。反体制側にいて、非業の死によって人生を終えねばならなかった者がその主役になっている。動乱の世に生を享けた額田王もまた無常の人だったのだ。