今宵は十三夜

    
 十月九日、今宵は十三夜、樋口一葉の名作「十三夜」を思い出さずにはいられません。
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 今宵は舊暦の十三夜、舊弊なれどお月見の眞似事に 團子 をこしらへてお月樣にお備へ申せし、これはお前も好物なれば少々なりとも亥之助に持たせて上やうと思ふたけれど、亥之助も何か極りを惡がつて其樣な物はお 止なされと言ふし、十五夜にあげなんだから片月見に成つても惡るし、喰べさせたいと思ひながら思ふばかりで上る事が出來なんだに、今夜來て呉れるとは夢の樣な、ほんに心が屆いたのであらう、 自宅で甘い物はいくらも喰べやうけれど親のこしらいたは又別物、奧樣氣を取すてゝ今夜は昔しのお關になつて、 外見を構はず豆なり栗なり氣に入つたを喰べて…
 
十五夜・十三夜の一方の月見を欠かすことを片月見といって忌む風がある。日本固有の習俗で、かっては秋の収穫祭の一つだったと考えられている。
 
 「十三夜」
 樋口一葉(1872~1869)が明治27年12月「文藝倶楽部」に掲載した小説。久保田万太郎が昭和22年に劇化脚色。「たけくらべ」「にごりえ」とともに一葉の代表作品。
 
 [梗概]おせきは、ある十三夜、離縁を決意し幼子を置いて婚家先を出てきた。実家の父はおせきをさとし、おせきもまた置いてきた子供の行く末を案じて婚家へ帰ることを決める。帰路、おせきの乗った人力車の車夫は幼馴染の高坂録之助であった。共に口にこそ出さなかったが淡い恋心を秘めていた間柄であり、おせきが嫁入りした後、放蕩して無気力となっていた録之助である。添い遂げられなかった二人は万感こもごも、胸に哀感を秘めて月光さやかな〈十三夜〉の夜道を歩き出すのであった。