病を得て更に知る旧友の情 明くれば常に思ふ長夜の愁
得病更知旧友情(病を得て更に知る旧友の情)
明常思長夜之愁(明くれば常に思ふ長夜の愁)
明常思長夜之愁(明くれば常に思ふ長夜の愁)
碑陰
また、最近出版された書物に、次の書籍がある。
『権力の病室―大平総理最期の14日間 』(単行本) 国正 武重 (著)
(私のレビュー)大平総理が亡くなって27年になる。郷里香川県観音寺市豊浜町の墓碑左面には「君は永遠の今に生き 現職総理として死す 理想を求めて倦まず 斃れて後已まざりき 伊東正義撰書」
と刻まれている。(余談であるが、私は近くに住んでいるので墓参することが多い。傍に聖書・賛美歌が置かれている)多磨霊園の墓石の裏面に同じ碑文が記されていると本書にあるのと同一ということになる。
葬儀委員長伊藤氏「…少しは休養をとるようにと勧める私どもに対して、〈政治家は倒れて後やむ〉と肯んじられませんでした。…人を愛すること深く、争いを好まず、静かな思索を求め、【明日枯れる花にも水をやる心を大事にしたい】と言われた心やさしいあなたに、時代はさらに過酷な克己と緊張を強いたのであります。選挙は無事に終わり、見事な成果を収め得ました。しかし、その結果を報告しようにも、あの温顔はまはやありません」と追悼の詞で断腸の思いを述べている。
本書は最期の14日間を官邸クラブ責任記者として克明にその間の動きを記録した貴重なドキュメントである。「最後の街頭演説」5・3〇「単なる過労?」5・31「ふとんが重い」6・1「狭心症」6・2「「愁眉を開いた」6・3「ゼリーが食べたい」6・4「早くゴルフがしたい」6・5「心筋梗塞報道の波紋」6・6「政と医の相克」6・7「2分間の会見」6・8「サミット出席は不可能」6・9「はじめての洗髪」6・10「荒唐無稽の噴飯物」6・11「「午前5時54分」6・12死因は過労による狭心症だった。
長女森田芳子は「あと何冊、本を読めるかな」と父が病床で語っていたのが一番つらかったという。遺言らしき言葉はなかった。
(私のレビュー)大平総理が亡くなって27年になる。郷里香川県観音寺市豊浜町の墓碑左面には「君は永遠の今に生き 現職総理として死す 理想を求めて倦まず 斃れて後已まざりき 伊東正義撰書」
と刻まれている。(余談であるが、私は近くに住んでいるので墓参することが多い。傍に聖書・賛美歌が置かれている)多磨霊園の墓石の裏面に同じ碑文が記されていると本書にあるのと同一ということになる。
葬儀委員長伊藤氏「…少しは休養をとるようにと勧める私どもに対して、〈政治家は倒れて後やむ〉と肯んじられませんでした。…人を愛すること深く、争いを好まず、静かな思索を求め、【明日枯れる花にも水をやる心を大事にしたい】と言われた心やさしいあなたに、時代はさらに過酷な克己と緊張を強いたのであります。選挙は無事に終わり、見事な成果を収め得ました。しかし、その結果を報告しようにも、あの温顔はまはやありません」と追悼の詞で断腸の思いを述べている。
本書は最期の14日間を官邸クラブ責任記者として克明にその間の動きを記録した貴重なドキュメントである。「最後の街頭演説」5・3〇「単なる過労?」5・31「ふとんが重い」6・1「狭心症」6・2「「愁眉を開いた」6・3「ゼリーが食べたい」6・4「早くゴルフがしたい」6・5「心筋梗塞報道の波紋」6・6「政と医の相克」6・7「2分間の会見」6・8「サミット出席は不可能」6・9「はじめての洗髪」6・10「荒唐無稽の噴飯物」6・11「「午前5時54分」6・12死因は過労による狭心症だった。
長女森田芳子は「あと何冊、本を読めるかな」と父が病床で語っていたのが一番つらかったという。遺言らしき言葉はなかった。
大平正芳 昭和55年6月12日逝去 享年70歳