管仲は若い頃に彼と親しく交わっていた。ある時、金を出し合って商売をしたが、失敗して大きな損失を出した。しかし鮑叔は
管仲を無能だとは思わなかった。商売には時勢がある事を知っていたからである。また商売で利益が出た時、
管仲は利益のほとんどを独占したが、鮑叔は
管仲が強欲だとは思わなかった。
管仲の家が貧しい事を知っていたからである。 このような鮑叔の好意に
管仲は感じ入り、「私を生んだのは父母だが、私を知る者は鮑叔である」と言った。二人は深い友情で結ばれ、それは一生変わらなかった。
管仲と鮑叔の友情を後世の人が称えて
管鮑の交わりと呼んだ。