中西進先生のこと


 中西先生を知って半世紀近くなる。一番印象的なのは、昭和四十八年暮の喪中はがきである。
  喪中につき年末年始の御挨拶をひかえさせて頂きます
   四月に父を喪い、近郊の山ふところに葬りました。新たな墓碑に
     赤のまま命のままに枯れはてよ   藻城
   の句を刻みました。
 平成二十年一月九日、三豊市桑山小学校で出前授業「万葉みらい塾」を参観させてもらった。昼食を共にした時
三十六年前のはがきをお見せしたところ、驚嘆されていた。すかさず校長さんが「握手してください」と言われる。二人ともきまり悪そうに握手して、ぱちり。いわゆるやらせである。それが今はもったいないほどの記念になっている。
 平成二十五年十一月二十五日、観一百周年記念館での万葉青春塾が終わり、夕食会を共にした時のことである。この月初め三日の文化の日には文化勲章をもらわれたばかりの畏れ多い大先生である。私は数日前から三豊干拓地で「赤のまま」すなわち「イヌタデ」の赤い花を採取して、それをお茶碗に赤飯みたいにして差し上げたところ
「さっき実物を大切にすることを申しましたが、そのままですね」といたく感動されて「持って帰って神棚に供えましょう」と言われた。神道なので、仏前ではないのである。
  讃岐野の赤のまんまで言祝がん   雅舟
拙句と我が万葉講座受講生の「中西先生文化勲章受章おめでとうございます」の寄せ書きも進呈した。