五木寛之新聞小説「親鸞」連載中

 
  
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   四国新聞連載中
五木寛之親鸞―激動篇―」
 四国新聞は本年一月一日から、再び四国新聞で「親鸞」の連載を始めた。四国新聞だけではない。他に地方紙四四紙で連載されている。空前の発行部数一七〇〇万部という。
 これまで平成二十年八月から翌二十一年九月まで連載された「親鸞」のあらすじは次のようになっている。
 激動平安時代末期。下級貴族の家に生まれた親鸞は早くに両親を失い、伯父に育てられる。八歳のときに出会った男たちが、親鸞の人生を変えていく。彼らは社会の底辺でたくましく生きていた。
九歳で出家。比叡山に入山し、過酷な修行に励んだ。しかし、命がけで修行をしても納得のいく結果を得られない。煩悶する日々。
二十年の修行を経て、親鸞は山を下りる決意をする。都の六角堂で百日間参籠するのだ。そこで親鸞は美しい女性に出会い、恋心が芽生える。だが同時に、十年前に出会った女性から思わぬ告白を受け、身をゆだねられる。二人には、悲劇的な結末がまっていた。
参籠から九十五日目、憧れの女性が告げた不思議な言葉に導かれ、親鸞法然の門下に入る。法然は念仏の教えを説いて、民衆から熱く支持されていた。親鸞、二十九歳。自らの道を見定め、充実した日々が始まる。だが、それも束の間であった。
民衆を駆り立てる念仏の教えは朝廷から弾圧され、一門断罪。法然親鸞流罪になる。三十五歳の親鸞は、流刑地・越後に向かった。
このあたりから今回の「激動編」に譲られる
「人はなぜ苦しみ、争って生きるのか」と問い続ける浄土真宗の宗祖、親鸞。弾圧で流罪となった越後から、信州の善光寺を経て、関東へ向かう波乱の日々をかつてない親鸞像で描いてくれる。
 あの時代に九十歳まで生き、七十歳を過ぎて立派な仕事をした人です。親鸞は長い時間をかけてゆっくりと成長し、晩年に実り多き時を過ごしました。しかもその実りとは富貴の道でもなく、権力にもつかず、名誉も得なかったのです。
―小説「親鸞」には、難しい仏教の専門用語が出てこない。
―これから小説はどう展開していくのか。
小説「親鸞」には、難しい仏教の専門用語が出てこない。
 親鸞の師匠は法然で、最も大切な考えは「易行」です。易行念仏とは誰にでもできるやさしいこと。それが念仏であるという意味なのですから、私たちも法然親鸞の思想に従っていけます。
この小説は、専門家から見れば幼稚な童話のように思われるかもしれないが、「生きがたい世の中を親鸞のように信念を持って生きた人がいるんだな」と読者に感じてもらえればいい。あとは専門家に深い親鸞研究をやってもらえればいいと言っています。
 これから小説はどう展開していくのか。
悪人正機」とかいろいろ言われますが、それだけではありません。苦悩と遍歴の末に最後に「自然法爾」に至る大きな生涯です。九十歳までの親鸞の遍歴を描きたい決意表明しています。
最後の新聞小説のつもりで、全力投球で書くと宣言しているので、楽しみでもあります。