万葉語「にほふ」

 現在我々が嗅覚として「匂う」と使っている動詞。『万葉集』では古語「にほふ」の用語例が75回出てくる。主として視覚に用いられている。かの有名な奈良の都を讃えた歌
  あをによし 奈良の都は 咲く花の 薫ふがごとく 今盛りなり (巻3ー328)小野老 
    (青丹吉 寧楽乃京師者 咲花乃 薫如 今盛有)
 この「薫ふ」は、文字面から見ても、嗅覚の匂いがする。そのニュアンスがあるにしても、一般には「目に見て鮮やかな視覚的映像」としてとらえる解釈が多い。それでいいのだろう。
 他の用例を見てみよう。
  春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ 娘子 (巻19ー4139)大伴家持
    (春苑 紅迩保布 桃花 下照道迩 出立娘子)
  「紅にほふ」とは、明らかに紅色に照り映える色合いを指している。「にほふ」の用例の三分の一は家持の歌が占めているという。
 色(特に赤〈丹〉、他に白・黄)や香り(香)が発散すること、また、それが他の物に移り染みつくことをも言う。
  引馬野に にほふ榛原 入り乱れ 衣にほはせ 旅のしるしに (巻1ー57) 長忌寸奥麻呂
   (引馬野迩 仁保布榛原 入乱 衣迩保波勢 多鼻能知師迩)
 「にほふ」色を「にほは」せる、すなわち色染めということになる。
 世に「移り香」という優雅な言葉があるが、「移り色=自然染色」ということになる。
 ただここでは、人間のなすわざとしての染色である。  類似語に「かほる」がある。『万葉集』では、一回だけ「潮気のみ薫れる国に」とある。これは立ち上るというほどの意味で視覚の方だろう。
 『源氏物語』ではどうだろう。「薫の君」「匂宮」とがそれぞれの香気を競い合う豪華絢爛たる世界に転位する。そこまではゆかない万葉世界の自然の花の、そこはかとない《彩》の移りゆきをいとしく思う。
 源氏の孫匂宮が生まれて翌年源氏の子薫君が生まれた。
源氏亡きあとその面影を生き写しているのは子孫の中で第三皇子匂宮21歳と薫君20歳だった。
華やかな風貌をもつこの御二方を世間では「花匂う匂宮さま」「花薫る薫君さま」とはやし立てた。