戦地からの便り

 いよいよ南方の戦地へ行きます。父母よ、決して心配しないで下さい。半年ばかりは便りが行かぬかもしれませんが、決して心配しないで下さい。静夫は笑ひながら言ってきます。もし静夫がせんししたと公報があったら、西宮の節子にも必ず知らせてやって下さい。頼みます。では、父上、母上、征って参ります。お体を大切に。兄と英澄にこの事伝へて下さい。

 陸軍軍曹大西静夫の戦死死亡通知は、翌昭和十九年十月三日に届いた。それによれば、「昭和十九年八月十七日午後一時二十五分モルツケン群島アンボイナ島リアン飛行場北方約十粁ノ海中二自爆」と記されていた。追って、豪北派遣輝第一一七〇三部隊東隊隊長東義正による、戦死状況の詳細な報告及び悔み情が届いた。末文は「痛恨の極みに御座候」と結ばれていた。

 遺影の飾られた大西家には節子なる女性が参りに来て、仏前の前でいつまでもさめざめと泣いていたという。(この人はしばらくすると、新しい人生を歩んだはずである)

 戦後復員した山下敏範という戦友から、更に詳しい当時の様子がもたらされた。彼は述懐する。⋯今でも思うのは戦死した人々の事ばかり⋯日本が勝っている途中で国の為と念じつつ笑って死んでいった人々が、実は一番幸福ではなかったかと思ったりします。 (死に損なって帰還した戦友の戦後のうしろめたさが偲ばれることである)

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