国木田独歩著「春の鳥」終章
哀れな母親は、その子の死を、かえって子のために
ある日のことでした、私は六蔵の新しい墓におまいりするつもりで城山の北にある墓地にゆきますと、母親が先に来ていてしきりと墓のまわりをぐるぐる回りながら、何かひとりごとを言っている様子です。私の近づくのを少しも知らないと見えて、
「なんだってお前は鳥のまねなんぞした、え、なんだって石垣から飛んだの?……だって先生がそう言ったよ、六さんは空を飛ぶつもりで天主台の上から飛んだのだって。いくら
私に気がつくや、
「ね、先生。六は死んだほうが
「そういう事もありませんが、なにしろ不慮の災難だからあきらめるよりいたしかたがありませんよ……」
「けれど、なぜ鳥のまねなんぞしたのでございましょう。」
「それはわたしの想像ですよ。六さんがきっと鳥のまねをして死んだのだか、わかるものじゃありません。」
「だって先生はそう言ったじゃありませぬか。」と母親は目をすえて私の顔を見つめました。
「六さんはたいへん鳥がすきであったから、そうかも知れないと私が思っただけですよ。」
「ハイ、六は鳥がすきでしたよ。鳥を見ると自分の両手をこう広げて、こうして」と母親は鳥の羽ばたきのまねをして「こうしてそこらを飛び歩きましたよ。ハイ、そうして、からすの鳴くまねがじょうずでした」と目の色を変えて話す様子を見ていて、私は思わず目をふさぎました。
城山の森から一羽のからすが羽をゆるやかに、二声三声鳴きながら飛んで、浜のほうへゆくや、白痴の親は急に話をやめて、茫然と我をも忘れて見送っていました。 この一羽のからすを、六蔵の母親がなんと見たでしょう。