ツゲはツゲ科の常緑灌木。古くから櫛の材料に用いられた。漢名黄楊木。播磨娘子の歌に「君なくはなぞ身装はむくしげなる黄楊の小櫛も取らむとも思はず」(巻九ー一七七七)とあって、櫛箱の中にあるツゲの小櫛も取ろうと思わないという女心を歌っている。また、黄楊枕を床の辺に置いて男の来るのを待つ女の歌もある。
シラカシはブナ科の常緑喬木。集中一首しかない人麻呂の歌「あしひきの山道も知らず白橿の枝もとををに雪の降れれば」(巻十一ー二三一五)の「白橿」である。葉裏が緑白色を呈し、材も白色を帯びているので名づけられたと思われる。『枕草子』にも「白樫といふものは、まいて深山木の中にも、いとけ遠くて、三位二位のうへの衣染むるをりばかりこそ、葉をだに人の見るべければ、をかしきことにめでたきことに取り出づべくもあらねど、いづくともなく雪の降り置きたるに見まがへられ、・・・」と万葉歌を念頭に置いての文章がある。ただ、万葉歌は「枝もたわむほど雪が降っているので」と実景を写しているはずなのに、清少納言は「見まがへられ」と誤解している。雪が降っているように見間違えられるというのも悪くないが、ここはやはり雪の降った白橿の枝と見たいところ。松に雪(この歌の前に二首ある)もいいが、言い古された感じで、珍しい白橿の取り合わせが新鮮で、雪景色に静寂美が伴ってくる。
ユヅルハはトウダイグサ科の常緑喬木。新旧の葉の交替が著しく目につくのでこの名がある。「古に恋ふる鳥かも弓絃葉の御井の上より鳴き渡り行く」(巻二ー一一一)は弓削皇子が額田王に贈った歌で、天武天皇の御在世中の昔を恋い慕う鳥であろうか、譲葉の木の傍にある井戸の上を鳴きわたってゆくという意。ここでは鳥が主題で、ユズルハは副題である。ユズルハでなくてもいいと言えるだろうか。ユズルハの語感の持つ謙譲さはこの歌の懐古の情を深める蔭の力になっていることは確かである。ユズルハは現在ユズリハと称され、正月の神棚に供えられる。注連縄に付けられて、縁起のいいものになっている。
檜
万葉花譜、冬の部に入れねばならない必然性のある植物はないとも言える。しいて言えば、常緑樹は一応ここに入れておくのがよかろう。杉・檜・柏・椎・樒・山橘等である。大方の木は春の頃目立たない花を咲かせる。山茶花・水仙等のような現在冬の花を代表するものは『万葉集』に現れていない。
万葉花譜、冬の部に入れねばならない必然性のある植物はないとも言える。しいて言えば、常緑樹は一応ここに入れておくのがよかろう。杉・檜・柏・椎・樒・山橘等である。大方の木は春の頃目立たない花を咲かせる。山茶花・水仙等のような現在冬の花を代表するものは『万葉集』に現れていない。