『万葉集』の冬の木


 花の咲かない常緑樹を一応冬の木としてここに挙げれば、まず筆頭は松で、集中七十九首の多きに上っている。大伴家持の歌に「八千種の花は移ろふ常磐なる松のさ枝をわれは結ばな」(巻二十ー四五〇一)がある。また、有名な「岩代の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまたかへり見む」(巻二ー一四一)という有間皇子の〝自ら傷みて松が枝を結べる歌〟がある。どこにでも身近にある植物として冬なお楽しめる植物と言えよう。
 
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竹の詠まれた歌は十九首ある。これまたよく知られた歌「吾が屋戸のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕べかも」(巻十九ー四二九一)は大伴家持の繊細な神経のゆきとどいた歌。譬喩歌ではあるが、「かくしてやなほや老いなむみ雪ふる大荒木野の篠にあらなくに」(巻七ー一三四九)の「篠」は原文「小竹」とあり、小形の竹であろう。雪をかむった風景がわびしい。「小竹」はササとも読む。「小竹の葉はみ山もさやにさやげども吾は妹思ふ別れ来ぬれば」(巻二ー一三三)は柿本人麻呂の名歌。現在は「笹」を当てる背の低い竹である。冬の相聞(巻八)に次のような歌もある。「小竹の葉にはだれ降り覆ひ消なばかも忘れむといへば益して念ほゆ」(二三三七)笹の葉にはだれ(霙、または斑雪)が降り覆うように、死んでしまったら思いを忘れることもできようが、死なないうちは忘れられないと女が言うので、いよいよ恋しく思われるという恋歌である。

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 ツガはマツ科の常緑喬木。「樛の木の」は「継ぎ継ぎ」にかかる枕詞として使われる。近江荒都で人麻呂の作った長歌(巻一ー二九)に「玉たすき畝火の山の橿原の聖の御代ゆ生まれましし神のことごと樛の木のいやつぎつぎに天の下知らしめししを・・・」がある。家持はツガそのものを「・・・二上山に神さびて立てる栂の大本も枝も同じ常磐に・・・」(巻十七ー四〇〇六)と「栂」の字で表している。

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 ツゲはツゲ科の常緑灌木。古くから櫛の材料に用いられた。漢名黄楊木。播磨娘子の歌に「君なくはなぞ身装はむくしげなる黄楊の小櫛も取らむとも思はず」(巻九ー一七七七)とあって、櫛箱の中にあるツゲの小櫛も取ろうと思わないという女心を歌っている。また、黄楊枕を床の辺に置いて男の来るのを待つ女の歌もある。

 シラカシはブナ科の常緑喬木。集中一首しかない人麻呂の歌「あしひきの山道も知らず白橿の枝もとををに雪の降れれば」(巻十一ー二三一五)の「白橿」である。葉裏が緑白色を呈し、材も白色を帯びているので名づけられたと思われる。『枕草子』にも「白樫といふものは、まいて深山木の中にも、いとけ遠くて、三位二位のうへの衣染むるをりばかりこそ、葉をだに人の見るべければ、をかしきことにめでたきことに取り出づべくもあらねど、いづくともなく雪の降り置きたるに見まがへられ、・・・」と万葉歌を念頭に置いての文章がある。ただ、万葉歌は「枝もたわむほど雪が降っているので」と実景を写しているはずなのに、清少納言は「見まがへられ」と誤解している。雪が降っているように見間違えられるというのも悪くないが、ここはやはり雪の降った白橿の枝と見たいところ。松に雪(この歌の前に二首ある)もいいが、言い古された感じで、珍しい白橿の取り合わせが新鮮で、雪景色に静寂美が伴ってくる。

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 ユヅルハはトウダイグサ科の常緑喬木。新旧の葉の交替が著しく目につくのでこの名がある。「古に恋ふる鳥かも弓絃葉の御井の上より鳴き渡り行く」(巻二ー一一一)は弓削皇子額田王に贈った歌で、天武天皇の御在世中の昔を恋い慕う鳥であろうか、譲葉の木の傍にある井戸の上を鳴きわたってゆくという意。ここでは鳥が主題で、ユズルハは副題である。ユズルハでなくてもいいと言えるだろうか。ユズルハの語感の持つ謙譲さはこの歌の懐古の情を深める蔭の力になっていることは確かである。ユズルハは現在ユズリハと称され、正月の神棚に供えられる。注連縄に付けられて、縁起のいいものになっている。

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                 檜
 万葉花譜、冬の部に入れねばならない必然性のある植物はないとも言える。しいて言えば、常緑樹は一応ここに入れておくのがよかろう。杉・檜・柏・椎・樒・山橘等である。大方の木は春の頃目立たない花を咲かせる。山茶花水仙等のような現在冬の花を代表するものは『万葉集』に現れていない。