大東亜戦争・太平洋戦争

 1941年12月8日に行われた真珠湾攻撃の宣戦布告の後、当時の日本政府は閣議決定でこの戦争を大東亜戦争命名それ以後日本では、ポツダム宣言を受け入れて無条件降伏するまでの戦争を「大東亜戦争」と呼び続けていた。植民地解放の大義名分の下、侵略の意識がなく、「八紘一宇」を旗印に戦争に駆り出されていった。広島・長崎の原爆投下後、終戦の日を迎えた。

 戦後、GHQによりこの戦争を「大東亜戦争」と呼ぶことが禁止され「太平洋戦争」の名称を使うようになった。 戦後77年令和の現在なお、美化された言葉「散華」「英霊」「玉砕」の残影が消え残っている。

観音寺市琴弾公園八幡宮十王堂 観音寺町「慰霊塔」 諸戦役戦没者 750柱 刻名