一茶の師・二六庵竹阿

 一茶自身も観音寺市専念寺に宿泊しているが、その師二六庵竹阿も来観している。

 松尾明徳が『専念寺と一茶』(昭和十二年刊)で次のように述べている。

 江戸の二六庵竹阿(一茶の師)は、宝暦の頃九州行脚の帰るさ杖をこの地に留めて大いに芭蕉の正風を奨励した。其の後折々来讃し、安永四年には当地の蒼々林青玉をして一夜庵に秘蔵せる「筆海」を探究せしめ、山幸舎帯河をして芭蕉の早苗塚を造営諸風士の詠を集めしめ之を併せて「俳諧二つ笠」と命名、自ら序文を与へて出版せしめ、俳諧歌仙をも興行して居る。

  爰にしも昔をしのぶ翁塚

  きりぎりすさむしろゆるせ一夜庵

 以上の記載から一茶の師竹阿は芭蕉作品だけでなく、宗鑑の一夜庵関係文献を大事にしていることが分かる。