俳諧二つ笠(反り笠・樋笠)

 俳祖宗鑑と俳聖芭蕉のどちらも大切にしてお祀りしている讃州香川県観音寺市

 宗鑑の一夜庵も、芭蕉の早苗塚も、共に大切にしている。宗鑑の「反り笠」と芭蕉の「樋笠」をこの地では共に敬愛している、その象徴的表現が「二つ笠」である。一茶の師匠である二六庵竹阿が最初唱えた説であった。宗鑑の俳諧諧謔や苦み走ったところがあり、芭蕉は造化随順、閑寂、風雅の精神性を求めるものである。相反する俳諧とも言えるが、後期の芭蕉の軽みなどは宗鑑に近づいているところもある。             宗鑑終焉の地我が郷土においては、芭蕉と共に両者を対等にその俳諧の二重性を肯定している。

  『二つ笠』編集に深くかかわった地元の俳人には、西山勘九良(俳号青玉」、この人の墓碑を本日発見。辞世「藤花のあとを隠してわか葉哉」天明4年没60歳〔四角廃寺〕 高屋町宝珠寺の北墓地に西山一族の墓碑群がある。

  玉藻よる讃岐国観音寺は、延宝の頃、檀林の種こぼれて其の風徒少なからず、吉備の中山の徐風、元禄の頃其角の門に入りて嵐雪と俳諧黒白の論に和たる。細谷川に祖翁の墳を築きて素隠士の賛辞をかふふり、夫よりここにうつり、百花とあらため、一夜庵を再興し、もつぱら正風の門を開きしが、没して後、風潮損したり。予宝暦の頃しらぬひの帰るさ杖をとどめて元禄の遺風をすすめ、折しも渡海するに、今年蒼々林は筆海をさぐり、山幸舎は早苗塚を造立して、猶諸好士の詠を集め梓にちりばめ、其風思を謝せんと

   序辞を与ふ。我何をかいはむ、はた二師を仰がば、昔鑑師は反笠を愛し、蕉翁は檜笠を愛し給ふ。これに便りて俳諧二ッ笠といはむも尤ならずやと。東武散人二六庵竹阿述

 芭蕉と宗鑑、二師を仰ぐならば、昔宗鑑は反笠を愛し、芭翁は樋笠を愛し給ふ。これによりて俳諧二つ笠といはんもむべならずや。 二六庵竹阿述 

 安永四未とし仲夏