炬燵出て 早あしもとの 野河かな 与謝蕪村
(碑陰) 藩政時代は橋がなく高松の城下と坂出
丸亀の往来には渡し舟を利用していた。
初代藩主松平頼重は寛文六年(一六六六)
対岸の渡し場には口銭場を設け松葉・柴
萱・竹木類を城下に持ち込む者から口銭を
徴収していた。ここに木橋が架けられたのは
明治二十五年(一八九二)である。
明和四年(一七六七)~五年(一七六八)頃
高松に立ち寄ったときにこの地を惜しんで
詠まれたと言われている。
平成七年三月吉日
高 松 市
高松市弦打地区地域おこし事業推進委員会
高松市弦打地区~香東川堤
香東川渡し場跡
炬燵出(いで)て早足もとの野河かな 蕪村