一里塚幻想

 豊島から毎日舟で通っていた子、一里塚里子。筆名として一里塚などという姓を付けてやった文才のある子。粗削りだが、人懐っこく、こちらの胸の奥まで忍び込んでくるようなひたむきなところがあった。
 小豆島には一里塚などはなく、名付けられた名をけげんに思ったに違いない。そんなことはもう遠い昔の些事にすぎないのだけれど、文芸遊戯をしていたのであっただろうか。
 今、数十年の時を経て、南海道讃岐平野に古代の遺跡「一里塚跡」を検証するに、何故と知られずながら、とある一里塚を守っている女がいたのだった。里子がここにいた、というのが彼の実感だった。数十年前の豊島乙女が、ここにこうして、なれの果てではないけれど、寡婦となって、一里塚を守っている、そう信じることは、彼の作家的妄想にすぎないことかもしれない。ただ、彼の心を若返らせ、ときめかせるに十分だった。
 彼女の幼女時代の爽やかさを担任だった姉から聞いて、ひそかに思い続けてきた過去があった。きっといいお嫁さんになってくれる、そんな雲をつかむような絵空事にも酔える彼は夢想家だった。
 不思議な縁で一里塚に来て、掃除をしたり、草を引いたり、花を植えたりする女。
それは、天女かもしれないし、魔女かもしれないし、時系列的に言えば、一里塚里子の今の姿というのが実感的だ。
 人はなぜ、今の風景に過去の幻影を重ねるのだろう。単純に見れば、小母さんの一里塚守り人にすぎない。それでは、あまりにも人の世に夢がなさすぎる。本当は今この人と結ばれて共に暮らしていたかもしれないのに、絆などとは無縁の他人の暮らし。交叉する一点もなく、共にたどった生の軌跡。人と人が結ばれるのが不思議な縁しであるように、結ばれないという運命も人は荷なっていることを知っているだろうか。
 一里塚の周りには、今里子の育てたオシロイバナが咲き始めている。