落し文 初夏の季語
哲学の道に拾ひし落し文 三村純也
“落し文”(“鶯の落し文”“時鳥の落し文”)と呼びます。
本来“落し文”とは、公然と言えないことを記してわざと落しておく文のことです。
いにしえ人たちは、道に落ちている筒状に巻かれた葉を、鳥の落し文に喩えたのです。
なんと豊かで詩的な想像力でしょう。
京都にある哲学の道。南禅寺から銀閣寺のあたりまでの疎水に沿った小道です。
かつて哲学者の西田幾多郎がこの道を思索しながら歩いたので、
いつしかそう呼ばれるようになったといいます。
散歩中に拾った落し文。
もちろん何も書かれてはいないのですが、
哲学の道にあれば、伝言のようにも、謎かけのようにも思えてきました。
これも言葉の力ですね。 『週刊まどか歳時記』より
本来“落し文”とは、公然と言えないことを記してわざと落しておく文のことです。
いにしえ人たちは、道に落ちている筒状に巻かれた葉を、鳥の落し文に喩えたのです。
なんと豊かで詩的な想像力でしょう。
京都にある哲学の道。南禅寺から銀閣寺のあたりまでの疎水に沿った小道です。
かつて哲学者の西田幾多郎がこの道を思索しながら歩いたので、
いつしかそう呼ばれるようになったといいます。
散歩中に拾った落し文。
もちろん何も書かれてはいないのですが、
哲学の道にあれば、伝言のようにも、謎かけのようにも思えてきました。
これも言葉の力ですね。 『週刊まどか歳時記』より
~讃岐・白峯寺 哀話~
勅使門前の欅の木を玉章(たまずさ)の木と言い、その巻いた落ち葉を「ほととぎすの落し文」と言われている。
崇徳上皇が「鳴けば聞く聞けば都の恋しきにこの里過ぎよ山ほととぎす」と都を慕った歌を詠まれたので、ほととぎすが声のもれないように木の葉をくちばしに巻いて、訪れたしるしに葉を落として行ったと言われている。
崇徳上皇が「鳴けば聞く聞けば都の恋しきにこの里過ぎよ山ほととぎす」と都を慕った歌を詠まれたので、ほととぎすが声のもれないように木の葉をくちばしに巻いて、訪れたしるしに葉を落として行ったと言われている。