お祖母ちゃんと孫娘の墓

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 すでに斉明(皇極)女帝の牽牛子塚古墳は発見されていたが、この度その孫娘(大田皇女)と推定される石室がその近くに確認された。「越塚御門古墳」と名付けられる。
  ―中皇命(斉明天皇) の紀の温泉に徃せる時の御歌
  君が代も我が代も知らむ磐代の岡の草根をいざ結びてな (巻1ー10)
  我が背子は仮廬作らす草無くば小松が下の草を苅らさね ( 〃ー11)
  吾が欲りし子島は見しを底深き阿胡根の浦の玉ぞ拾はぬ ( 〃ー12)
    
牽牛子塚古墳は、国の史跡に指定されている。平成22年の発掘調査によって、飛鳥時代天智天皇天武天皇の母とされる斉明天皇の陵墓である可能性が強くなった。
日本書紀』には、天智天皇は、母である斉明天皇の命令を守り、大工事をしなかったと記されている。これは、被葬者を斉明天皇とみなすことについての慎重論の根拠となる。『続日本紀』には、斉明天皇陵が「修造」されたという記事が文武天皇3年のこととして記されており、この記載を根拠に、この年斉明天皇文武天皇により改葬されたのではないかと考えることができる。