俳句は虚子に聴け

 
 虚子の次女・星野立子の主宰する『玉藻』に「虚子の問・答」が昭和12年ころ連載されている。十月号に「玉藻は今度添削及び問答を始めました」と「ホトトギス」に宣伝している。「俳句は虚子に聴け」と息巻く。
イメージ 1
 
虚子は子女のなかで、句作を「私の方から勧めたのは、星野立子一人である」(『晴子句集』序文)としている。さらに虚子は『立子句集』(1937)の序文で「自然の姿をやはらかい心持で受け取ったまゝに諷詠するといふことは立子の句に接してはじめて之ある哉といふ感じがした。写生といふ道をたどつて来た私はさらに写生の道を立子の句から教はつた感じる」と激賞した。1935年ころからは、それまでの「明るい鏡に写しとつたやうな景色を写生した句」が「作者の感情に動くままに景色を描くといつた句になつて来た」(「玉藻」1925年11月号)と評している。