あをによし奈良の都

 あをによし寧楽の都は咲く花の薫ふがごとく今盛りなり
 平城京遷都1300年が過ぎ、新たな1301年に入りました。
 この時代は「女帝の時代でした。元明女帝は、息子の文武帝(27歳)に死なれた後、中継ぎとして頑張りました。藤原宮から平城宮に都を遷し、奈良時代の基盤を築き、『古事記』「風土記』を選修せしめました。女帝10人(実質8人)の中で、最も行動的知性派でした。政治家であるのみならず、文化行政を、文化人として立派な事業を果たしました。持統女帝の妹、元正女帝の母であります。
 
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