藤原宮→寧楽宮、遷都の万葉歌

万葉集』巻1ー78~90の歌群に平城宮遷都の状況が伺える。
               *太上天皇元明天皇説が有力
 和銅三年 庚戌 春三月 藤原の宮より寧樂の宮に遷りませる時、長屋の原に 御輿 停 めて 古郷  を 廻望  したまひてよみませる 歌  ( 一書ニ云ク、太上天皇御製ミマセリ)
    飛ぶ鳥の明日香の里を置きて去なば君があたりは見えずかもあらむ(巻1ー78)

    藤原の京より寧樂の宮に遷りませる時の歌(巻1ー79)
    天皇 ( おほきみ ) の  御命 ( みこと ) 畏み  和 ( にき ) びにし 家を置き
    隠国 ( こもりく ) の 泊瀬の川に 船浮けて  吾が行く河の
   川 隈 の  八十隈おちず  万 たび かへり見しつつ
   玉ほこの 道行き暮らし 青丹よし 奈良の都の
   佐保川に い行き至りて  我 が寝たる 衣の上よ
   朝 月夜 さやかに見れば  栲 ( たへ ) の穂に 夜の霜降
   磐床と 川の 氷凝 ( こほ ) り  冷ゆる夜を  息むことなく
   通ひつつ 作れる家に 千代まてに  座まさむ君*と  吾も通はむ
                                       *亡夫、草壁皇子
     反歌
   青丹よし寧樂の家には万代に 吾も通はむ忘ると 思ふな(巻1―80)
     右の歌は、 作主未詳。

   
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