【宗鑑忌】 俳祖山崎宗鑑の忌日 陰暦十月二日 通説
●次のように諸説があり、生没年不詳とされ、定説はない。
①天文三年夏 七四歳 『伊呂波聞書』
②天正五年正月二四日 七二歳『一夜庵建立縁起』
③天文七年七月二二日『祖師遺墨留案』真珠庵
④貞享二年七月二二日『日次紀事』宗鑑上坐忌 世にいはゆる山崎宗鑑にして離宮八幡宮神職井尻氏の子なり。かつて常徳院尚公の侍童となる。大徳寺真珠庵に碑あり。
➄天文一二年 八五歳 『滑稽太平記』
⑥寛正二年 十月二日 『俳諧家譜』
⑧天文二二年 八九歳 『俳諧奇人談』
【宗鑑年忌】
①二百年忌 安永四未正月廿四日 墓碑 小西帯河建之
②四百年忌 昭和二六年十一月二日
③四百五十年忌 平成十六年十一月七日
④四百七十年忌 令和五年十一月三日 (予定)
【宗鑑出自】
近江源氏、佐々木秀義五男五郎左衛門義清の後裔。山崎離宮八幡井尻氏の子。八条之小野光家朝臣六代の孫。
【幼名】
志那弥三郎範重(範永)