俳諧撰集『雪の光』序 

    雪の光 俳諧撰集 百花(除風)編 享保5年 (1720)刊

讃岐国観音寺の宗鑑の遺跡一夜庵を再興した百花が諸家の発句・連句を集めたもの。

   序 

一夜庵は宗鑑法師の膝をいるばかりの軽く住める松の柱茅ふける軒あやしの柴のあみ戸さへなく右は海上はるかにいよのみ嶽白雲とこしへに覆ひ、左は象頭・天霧・志保山の月麗々と昼のこゝち攻めぞせめ。寺と庵の、竹むらむらに谷ありて、渡雀橋をかける琴弾有明の浜、眼の及限りの風景茅屋に留てねぶりをさます。宗鑑の伝記は、季吟・梅翁が文章に一二なり。

抑歌に俳諧の躰あり。いにしへ一座のやつしに、五七五は家隆・定家にも聞え給ひ、付合に守武宗鑑にはじめて、千歳の今に五十韻百韻はすなりけり。守武は神風の伊勢にありて、その旧跡をきかず。宗鑑は下々の客のざれ哥に一夜庵を残して俳諧の惣本寺といふべきにや。諸国の好ン人よりゝゝ句を荷ひ、志をはこぶ事およそ短冊五百枚余。いまの庵は六畳に勝手がましき所四畳半、竈二つ、調度めきたる物には丸盆五枚、茶碗五つ、味噌米等は持寄の世帯なれば器なし。前に千里を見渡し、しりへに小山高からず。軒をかこふ松が枝さし出して夕日をあやどり、景曲こまかにして、四時の遊び夜を重ね、日をつみてもあかずかし。且雪の夕べ、花の朝、ほととぎすのまれまれの折にれては、大守もいらせ給いひ、御句など給り、つたなき脇など奉れば、君気よろしく聞えさせたまふ。それよりをちこち、所々の好士をすゝめて句をひろひ、又はみづからの鄙ひたる言の葉も書あつめ、ことしかのえねずみの髭口を開き、一巻の集して、雪のひかりと云。他人の見るべくともあらねど、おもふ同志の契りむなしからんと、一夜庵の岩上に筆を染めて序としかなん。

                            讃西観音寺里

                            一夜庵百花居士