俳祖・山崎宗鑑の生没年・享年

 

【宗鑑の生誕年】

 寛正6年(1465年)?この年、将軍足利義尚生まれる。

【宗鑑の没年・享年】

①天文3年没 享年74歳 「伊呂波聞書」

②天文7年7月22日没 享年81歳 「祖師遺書留書」

③天文12年没 享年85歳「滑稽太平記

④天文21年 享年89歳「俳諧系図

天正5年正月24日 享年72歳

 ◎安永4年正月24日 宗鑑二百年忌「一夜庵建立縁起」

寛永10月2日 「俳諧家譜」

⑦天文22年(1553)10月2日 享年89歳 「俳家奇人談」

 以上、諸説あり、生没年・享年未詳。

死因は廱(悪性の腫物)であったとも言われる。

辞世(伝) 宗鑑はどちへと人の問ふならば

 ちと用ありてあの世へと言へ(『古今夷曲集』)

【宗鑑の年忌】

二百年忌=安永4年(1775)正月24日

四百年忌=昭和26年(1951)10月2日

 ☆☆『広辞苑』の山崎宗鑑の解説

室町後期の連歌師俳人俳諧の祖。足利将軍に仕え、後に剃髪して宗鑑と号し山城の国山崎に住む。有数の連歌師であったが、俳諧連歌に重きをおき、俳諧独立の機運を作った。編「新撰犬筑波集」。(?~1540天文9年頃)

 ☆☆『明説文学史』の山崎宗鑑の解説

室町時代末期になると、俳諧連歌が流行し、山崎宗鑑の『新撰犬筑波集』が編まれた。

山崎宗鑑=生没年未詳。