河田誠一 夭折の天才詩人

風の碑76天才詩人河田誠一

 
 
         風の碑76夭折の天才詩人河田誠一   三豊市仁尾町中津賀出身
 
    河田誠一(1911~1934)
 昭和初期に「天才」と評されるほどの詩や小説を書きながら、24歳の若さで亡くなった。香川県三豊市仁尾町中津賀出身の詩人・作家。小説も何篇か書き残しており、その「豊麗無比な感覚」の輝きに眼を見張った友人の田村泰次郎がその早すぎる死を惜しんで切々たる追悼文を寄せている。その「天才河田誠一を悼む」によると、その天賦の才をまさに花開かんとしたそのとき、当時不治の病とされていた結核に倒れ、昭和9年2月高松の仮寓でひっそりと世を去った。(1940年9月30日)
  昭森社より『河田誠一詩集』が刊行されている。装幀は草野心平田村泰次郎の「河田誠一の詩」と井上友一郎の「河田誠一と私」という跋文が載せられている。文芸雑誌『櫻』に河田誠一追悼號」が掲載された。出身地仁尾町に河田誠一資料関係を保存している。
  彼は小説も何篇か書き残しており、その「豊麗無比な感覚」の輝きに眼を見張った友人の田村泰次郎がその早すぎる死を惜しんで切々たる追悼文を寄せている。その『天才河田誠一を悼む』によるとその天賦の才をまさに花開かんとしたそのときに、当時不治の病とされていた結核に倒れ、昭和9年2月高松の仮寓でひっそり
と世を去った。
      詩「春」      河田誠一  
  タンサンの泡だつたらう海峡の空は
  つめたく暮れた。
  なまあたたかいかぜの記憶は
  かすんだ雨のなく音。
  ボロボロの鳥。
  わたしの抱いてねたあなたの肉體は春であつた。
 
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