森川義信の詩をめぐって
現代詩における生命頌歌の再発掘
『森川義信詩集』はまさに森川の墓標である。その数多からぬ作品は、戦争の影とともに成長し、ついにはその雲の上に消え去る運命を確実に予測した若者の、冷たく暗いけれども、痛いほど美しい生命の讃歌である。戦中、戦後を通じて、森川の詩に匹敵する痛切を保有した生命頌歌があっただろうか?
「Mよ」という呼びかけのある鮎川の詩、「死んだ男」や「アメリカ」を代表例にしてもいい。早い時期の戦後詩の生命頌歌は、失われた死者の生命に対する哀悼の形をとった。 (衣更着信 著 『荒地』の周辺)
いつの間にか森川義信先輩の生家と詩碑を訪ひし今日
森川義信の「勾配」
- 戦後の現代詩「荒地」のさきがけとも言われる詩 である。
- 勾 配 森川義信
- 非望のきはみ ※非望=かなえられないほどの野望
- 非望のいのち
- はげしく一つのものに向かって
- 誰がこの階段をおりていったのか
- 時空をこえて屹立する地平をのぞんで ※屹立(きつりつ)=聳え立つ
- そこに立てば
- かきむしるように悲風はつんざき
- 季節はすでに終わりであった
- たかだかと欲望の精神に
- はたして時は
- 噴水や花を象嵌し ※象嵌(ぞうがん)=金属に模様をはめ込む
- 光彩の地平をもちあげたか
- 清純なものばかりを打ちくだいて
- なにゆゑにここまで来たのか
- だがみよ
- きびしく勾配に根をささへ
- ふとした流れの凹みから雑草のかげから
- いくつもの道ははじまってゐるのだ
親友鮎川信夫の絶賛したことばを紹介しなければならない。
「わずか十八行の短詩だが、さっと一読しただけで、私は、目がくらむような思いがした。何度も繰り返して読んだが、感動の波は高まるばかりであった。」これはこの詩を原稿で初めて読んだ鮎川信夫の感想であった。
タイトル「勾配」の含蓄もさることながら、冒頭「非望」二回の繰り返しが作者のお気に入りで、印象を強める。かなえられない「野望」を意味するこのことば。「絶望」ではない、前向きに、しかも下降線をたどる傾斜ではあるが、何であるかは明示されない。自分の人生か、歴史か時代か、どこか暗く落ち込んでゆく予感がある。「勾配」とは平坦ではない前途であろう。それを鋭くキャッチしようとする詩人の霊感で、それでも活路を見つけて人はそれぞれに【生きる道】を見つけねばならないという【光明志向】でこの詩は救われている。