勾配 森川義信
非望のきはみ
非望のいのち
誰がこの階段をおりていつたか
時空をこえて屹立する地平をのぞんで
⋯⋯
はたして時は
⋯⋯
清純なものばかりを打ちくだいて
なにゆえにここまで来たのか
きびしく勾配に根をささへ
ふとした流れの凹みから雑草のかげから
いくつもの道ははじまつてゐるのだ
鮎川信夫の「死んだ男」の「M」=森川義信は、大正7年(1918)、香川県生まれ。早稲田に進学、詩誌「LUNA」などを通して鮎川信夫などと知り合う。昭和16年、丸亀歩兵連隊に入隊、翌年、ビルマで戦病死。享年25歳。
在学中発表された「勾配」という詩は、当時この詩の深さに多くの仲間に共感共鳴されていた。「太陽も海も信ずるに足りない」とき、階段=勾配を「おりて」いくことしか残されていない。勾配を「時代の下っいく」【心の痛み】をわずか十八行の詩にまとめあげた詩人の非凡さ。「誰がこの階段をおりていつたか」という一行は、鮎川信夫の「死んだ男」の「あらゆる階段の跫音のなかから」という一行に生きてい
る。
★〔衣更着信の証言〕 森川義信の詩をめぐって
~現代詩における生命頌歌の再発掘~
「勾配」のような絶品を残して、ビルマで戦没した詩人である。『荒地』の仲間は、軍隊にはいった者はそれぞれ奇跡的に生還し、⋯ひとり森川義信だけは帰り来ることがなく、太平洋戦争における詩壇最大の損失と嘆かれているのである。