高橋和己死亡の前後

 

大阪浪速寺の住職筆  昭和四十六年五月三日寂

戒名 「大慧院和嶺雅到居士位」 俗名高橋和己 行年四十一歳

これより三日前 五月一日 祖母コマ寂 父秋光は母と子を相次いで亡くした。

和己は祖母にかわいがられ育てられ、愛用の腕時計まで孫和己に使わせていた。

大阪に一家転住してからは天理教信者になったが、葬儀は仏式前記の寺院境内に埋葬されている。分骨は東京の⋯墓地に「和」と墓碑に刻まれている。

 

 

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