本居宣長「もののあはれ」論

 本居宣長著『排蘆小船・石上私淑言』(岩波文庫)
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 宣長二つの歌論。生涯公表されることなく,箱底に秘めて置かれていたという。当世和歌の現状に対して、「歌とは何か」を問うのが『排蘆小船』。心に思うことを述べたのが『石上私淑言』、 それは「ものののあはれ」を知る心と変化し、文学論の大道を切り拓くことになる。合わせ鏡のごとく宣長の中心思想を炙り出す。
 古来、多くの思想家が哲学を学ぶべきことを説いたが、哲学的人間であるためにはまず文学的人間である必要があると宣長は説く。詠歌の営みは人間にとって本質的なことだということでもある。
 本居宣長著『排蘆小船』は宣長の処女作。内容は、和歌とは何かを問答体で書いている。歌は心のありのままを表出するものだという実情論を根幹とし、和歌を政治や道徳から解放しようとする和歌自立論、因習にとらわれた中世歌学からの脱却を目指す伝授思想批判等、清新な内容である。
 一例を示すと、「歌は天下の政道をたすくる道也、いたづらにもてあそびものと思ふべからず、この故に古今の序に、この心みえたり。此義いかが。答曰、非也、歌の本体、政治をたすくるためにもあらず、身をおさむる為にもあらず、ただ心に思ふ事をいふより外なし…」
 本書には署名もなければ、いつ書いたという奥書もない。そのため、過去には、これは堀景山の話を聞いて書いた本だとか、京都へ行って直後執筆説や在京執筆説、帰郷後説などさまざまである。
石上私淑言(いそのかみささめごと)』は本居宣長の記した歌論書宝暦13年(1763年)に書かれた宣長初期の注目すべき著作。
 内容は「もののあはれの説を基軸として和歌のあるべき姿を論じたもので、通常は『排蘆小船』の和歌観を更に展開させたものとされる。歌は感情の流露であるとし、倫理道徳概念で律するものではなく、もののあはれ」の概念について多く論じられており、和歌論から国学的範疇への移行とみなされる。