「ただ人情の有りのままを書きしるして,みる人に人の情はかくのごとき物ぞといふ事をしらする也.是物の哀れをしらする也」──もののあはれを知る心という概念で『源氏物語』の意義と価値を説いた宣長の歌論『石上私淑言』と共にもののあはれ文学観の成立を述べた最初の物語論。
奥書に、「右紫文要領上下二巻は、としころ丸か、心に思ひよりて、此物語をくりかへしこころをひそめてよみつゝかむかへいたせる所にして、全く師伝のおもむきにあらす、又諸抄の説と雲泥の相違也、見む人あやしむ事なかれ、よくよく心をつけて物語の本意をあちはひ、此草子とひき合せかむかへて、丸かいふ所の是非をさたむへし、必人をもて言をすつる事なかれ、かつ文章かきざまはなはたみたり也、草稿なる故にかへりみさる故也、かさねて繕写するをまつへし、是又言をもて人をすつる事なからん事をあふく、ときに宝暦十三年六月七日 舜菴 本居宣長(花押)宝暦十三年(1763年)、賀茂真淵との「松阪の一夜」もある源氏物語論。
本論として『源氏物語』の内容とその執筆意図について、原文を豊富に引用し、問答形式で自説を繰り返し示して、訴える力がある。
本論として『源氏物語』の内容とその執筆意図について、原文を豊富に引用し、問答形式で自説を繰り返し示して、訴える力がある。