連歌師宗祇

『宗祇』奥田勲
 
『新撰筑波集』の著者として、連歌を「中世詩」の最高域まで高めた室町時代連歌師。宗祇の生涯、宗祇をめぐる人々、宗祇の遺したもの、宗祇伝説にまで及ぶ宗祇伝である。
 本格的に連歌に志したのは30歳(1450年)と言われている。連歌作者として大成したのは80歳(1500年)頃で、実に15世紀後半50年間の連歌を充実させた立役者である。秀吟とされる肖柏・宗長との「水無瀬三吟百韻」は68歳(1488年)、この年将軍足利義尚の陣所で『伊勢物語』を講釈、両吟百韻まで巻いている。翌年義尚25歳で陣没。翌々年一周忌追善和歌会張行。三条西実隆ら来会。この実力者との交流も詳しく書かれている。実隆が宗祇に与えた古典的素養の影響は大きい。宗祇の業績は『新撰筑波集』の編纂である。俳諧連歌が無視され、正統的連歌が重んじられている。「吾妻問答」「筑波問答」など宗祇の多くの連歌論では、付合の精細な分析の場面(勘どころ)を懇切に説いている。