香川県文学碑

 
 香川県には、535基あるとも言われる。『新訂増補全国文学碑総覧2006年刊』から抽出したもので、調査漏れがあるし、それ以来建て増されていて、もっと多い。また、文学碑と認めるか否かで、その総数は違ってきて、正確には言えない。
 ひるがえって、1970年刊行の『讃岐句碑めぐり』八坂俊生(香川県在住)著を見ると
句碑(95基)、歌碑(55基)、詩碑(7基)、文学碑(8基)、その他(44基)、計[209基]となっている。
「文学碑」と限定するからには「文学」とは認められないものを入れることはできない。ただ、その選別には著者の文学観が投影され、個人差が生まれる。
 広義では韻文・散文全て文学性があれば文学の範疇に入る。韻文では歌碑、句碑、詩碑の三区分が普通だが、散文(文章)は詞碑とも狭義の文学碑とも称される。これは見解の相違で、統一はできない。『総覧』では詞碑、『句碑めぐり』では文学碑としている。書名タイトルの「句碑」は最も多いジャンル(俳句)を代表させているにすぎない。
 私の個人的踏査において、発生した問題点の一つに墓碑、慰霊碑、忠魂碑など文学碑扱いされていない石碑に俳句・短歌・漢詩などが刻まれている場合、句碑、歌碑、詩碑と称されるかどうかの疑問である。見過ごすには惜しいものがある。
墓誌の最後に辞世がある場合、取り上げるべきかどうか。 
 文学に値しない記念碑はともかく、文学遺跡標柱、文学者の銅像という関連物はどうか。狂歌、川柳、民謡、民話、音楽、書画はどうか。その他に入れるか、入れないのか。
 
  【香川県文学碑の特徴】
 全国で約21000基あると言われる中で535基なので、全国平均 より少し多いくらいだろうか。他県に比べて文学熱が盛んとは思われないが、文学碑建立に異常執着している地区が2~3ヵ所あって、乱立と言っていいくらい建て過ぎている。
 文学碑を建てる決まりはないが、趣味的に建てまわるのはいかがなものか。ある程度、そこになければならない必然性がなければならない。これが私見である。好きな作家だから、好きな作品だからということで、どこへでも建てていいというのは、節操がない。半永久的に在って、他人に見られ、納得してもらえなければならない。個人の屋敷の中に建てるのは自由である。そうではなく、公の人の目に触れるところに建てるならば、その説明書きがいる。その作者がそこに来たこともないのに、作品もその場所と関係がないのに、自分の好きな作者・作品だからということだけで建てるならば、悪く言えば罪を冒し、人を欺いたことになる。説明さえしてくれておればいいのだが、それがなければ、誰でもそことつながりのある人の作品だと思うはずである。よくよく碑を建てる時はそのことを熟慮して、せっかく建てるのだから、抜き差しならない場所選びをしてほしいと強く念じるものである。
 
【代表的文学碑】
(1)西行関連
 白峰御陵歌碑 よしや君むかしの玉の床とてもかからんのちはいかにかはせん
 出釈迦寺奥の院歌碑 筆の山にかき登りても見つるかな苔の下なる岩の気色を 三野津歌碑   敷き渡す月の氷を疑ひてひびの手まはる味鴨の群鳥 
 沙弥島歌碑  玉藻よし讃岐の国は国からか見れども飽かぬ…
        妻もあらば摘みてたげまし沙弥の山野の上のうはぎ過ぎにけらずや
(3)山崎宗鑑 一夜庵句碑  貸し夜着の袖をや霜に橋姫ご
(4)与謝蕪村 妙法寺句碑  門を出れば我も行人秋のくれ     
(5)小林一茶 金比羅句碑  おんひらひら蝶も金比羅参哉
(6)高浜虚子 丸亀城句碑  稲むしろあり飯の山あり昔今
(7)尾崎放哉 南郷庵句碑  咳をしても一人  いれものがない両手でうける  
         讃岐路は浄土めきたり秋の日の五岳のおくにおつることさへ 
(9)与謝野鉄幹 同 上
         たもとぶり西上人も見しならん飯野の山のわが道に立つ