一夜泊りは下々の下の客
「宗鑑さま、一夜泊りは下々の下の客でございますか」「そうでしょう。そんな人で
「その通り。額面通り取る
一夜泊りは下々の下の客
「宗鑑さま、一夜泊りは下々の下の客でございますか」
「まさかそうではあるまい」
「そうでしょう。そんな人でなしの言葉を門前に掲げられますかね」
「その通り。額面通り取るようでは人情の機微は分かるまい」
「そうでしょうね。その裏を読んで、それでも泊めてほしいと願うことこそ表現の真意というものでしょう」
すべてが仮の世の中。虚仮でしかないこの世において、俳祖と俳聖の出会い。空中楼閣を承知の上で以下の連句世界に参入していく。
創作謡曲「二ツ笠」
シテ(芭蕉) 早苗とる手もとや昔しのぶ摺。
地謡 しのぶ文字摺り誰ゆゑにと、女性の姿重なりて
シテ 旅の疲れも消えてゆく、我が心根に八幡宮の琴弾く遠音うち添ひて、晴れの舞台は整ひぬ。
ワキ(宗鑑) さてはここに参じ候は、一夜庵に住み、その昔俳祖と言はれし者なり。
地謡 かきつばた咲く前栽に出で、賓客を迎へんと歩み出る。
シテ 有難き姿拝まんと崇めたる、こは宗鑑なるかや、鑑師なるかや。
ワキ いかにも宗鑑はどちへと人の問ふあらばちと用ありてあの世へと、言はんばかりに頼うだる、その人ぞや。
シテ さてもさても、逝きて二百余年、ちと用もすみ、ここもとに舞ひ戻ったかや、奇遇なる出遭かな。いかないかな。
「有難き」の巻が巻かれることになった。
発句 有難き姿拝まんかはつばた 翁
脇 吞まんとすれば湧く石清水 宗鑑
第三 いざさらば句碑見に逸る心にて 芭蕉
四 つんぬめりたる竹藪の径 鑑五 名月に街中めぐり酒びたり 蕉六 初子授かり爽やかな風 鑑
初表六句を一夜庵に掛けおく。
(蛇足ながら、奥の細道冒頭もどき)
時代的に重ならない二人の俳人を観念の上で添わせ、もし同時代ならばこんなやりとり、の連句、両吟なるものを巻いたのではないかと幻想してみた。虚構が許される創作文芸部門の楽しみであるが、エッセーがフィクションを許容しなければ、ここに例示した拙劣な遊芸は引き下げなければなるまい。
おめでたい宗鑑。まじめな芭蕉。
方や俳祖宗鑑。方や俳聖芭蕉。
共に我が幻の父
芭蕉になりたい人はいる。宗鑑になりたい人はいない。なりたい人になるのはいい。なりたくない人にもなってみるのもいい。時代を異にする人の出会いは現実にはない。それでも虚構では合わせることはできる。バーチャル連句で室町末期の宗鑑と江戸中期の芭蕉とを逢わせる無謀を試みた。普通の感覚で言えば不自然なことも、連句や能の形を借りれば可能である。それは古来日本の遊芸でもあった。このような仮構世界に興味のない人はそれでいい。次元の低い、お遊びとみなされようと、それでもいい。
狂句こがしの身は竹斎に似たる哉
芭蕉はまじめ一方の人間であったかと言うと、それは当たらない。
借りて寝む案山子の袖や夜半の霜
同じく、袖を詠みこんだ宗鑑の句に次のような一句があって、一夜庵の傍らに句碑となっている。
貸し夜着の袖をや霜に橋姫御 宗鑑
奥の細道逆回りの旅から端を発した本稿。
旅は一人旅に限ると言い切る人もあるが、共にする旅・出会いの旅はを疎かにはできない。『奥の細道』の旅も二人旅、出会いの旅であったことを見落としやすい。
随伴者曾良の陰ながらの力は大きい。その感謝をこめての曾良挿入句でこの道文に厚みが出ている。また、道中で共に連句を詠み合った見知らぬ人。さまざまな出会いがあるから、それが楽しみで又旅に出るのだとも言われる。未知のものとの予想もしない出会いに充足感を覚えるのが旅の功徳。
自分なりの旅を作り出し、編み出す努力が必要になってくる。ガイドブックおすすめの旅にはない、自分の求めるテーマに応えてくれる旅の選択。初めからきめてかからなくとも、問題意識とか気にかかることへのこだわりにつなようでは人情の機微は分かるまい」「そうでしょうね。その裏を読んで、それでも泊めてほしいと願うことこそ表現の真意というものでしょう」
すべてが仮の世の中。虚仮でしかないこの世において、俳祖と俳聖の出会い。空中楼閣を承知の上で以下の連句世界に参入していく。
創作謡曲「二ツ笠」
シテ(芭蕉) 早苗とる手もとや昔しのぶ摺。
地謡 しのぶ文字摺り誰ゆゑにと、女性の姿重なりて
シテ 旅の疲れも消えてゆく、我が心根に八幡宮の琴弾く遠音うち添ひて、晴れの舞台は整ひぬ。
ワキ(宗鑑) さてはここに参じ候は、一夜庵に住み、その昔俳祖と言はれし者なり。
地謡 かきつばた咲く前栽に出で、賓客を迎へんと歩み出る。
シテ 有難き姿拝まんと崇めたる、こは宗鑑なるかや、鑑師なるかや。
ワキ いかにも宗鑑はどちへと人の問ふあらばちと用ありてあの世へと、言はんばかりに頼うだる、その人ぞや。
シテ さてもさても、逝きて二百余年、ちと用もすみ、ここもとに舞ひ戻ったかや、奇遇なる出遭かな。いかないかな。
「有難き」の巻が巻かれることになった。
発句 有難き姿拝まんかはつばた 翁
脇 吞まんとすれば湧く石清水 宗鑑
第三 いざさらば句碑見に逸る心にて 芭蕉
四 つんぬめりたる竹藪の径 鑑五 名月に街中めぐり酒びたり 蕉六 初子授かり爽やかな風 鑑
初表六句を一夜庵に掛けおく。
(蛇足ながら、奥の細道冒頭もどき)
時代的に重ならない二人の俳人を観念の上で添わせ、もし同時代ならばこんなやりとり、の連句、両吟なるものを巻いたのではないかと幻想してみた。虚構が許される創作文芸部門の楽しみであるが、エッセーがフィクションを許容しなければ、ここに例示した拙劣な遊芸は引き下げなければなるまい。
おめでたい宗鑑。まじめな芭蕉。
方や俳祖宗鑑。方や俳聖芭蕉。
共に我が幻の父
芭蕉になりたい人はいる。宗鑑になりたい人はいない。なりたい人になるのはいい。なりたくない人にもなってみるのもいい。時代を異にする人の出会いは現実にはない。それでも虚
一夜泊りは下々の下の客
「宗鑑さま、一夜泊りは下々の下の客でございますか」
「まさかそうではあるまい」
「そうでしょう。そんな人でなしの言葉を門前に掲げられますかね」
「その通り。額面通り取るようでは人情の機微は分かるまい」
「そうでしょうね。その裏を読んで、それでも泊めてほしいと願うことこそ表現の真意というものでしょう」
すべてが仮の世の中。虚仮でしかないこの世において、俳祖と俳聖の出会い。空中楼閣を承知の上で以下の連句世界に参入していく。
創作謡曲「二ツ笠」
シテ(芭蕉) 早苗とる手もとや昔しのぶ摺。
地謡 しのぶ文字摺り誰ゆゑにと、女性の姿重なりて
シテ 旅の疲れも消えてゆく、我が心根に八幡宮の琴弾く遠音うち添ひて、晴れの舞台は整ひぬ。
ワキ(宗鑑) さてはここに参じ候は、一夜庵に住み、その昔俳祖と言はれし者なり。
地謡 かきつばた咲く前栽に出で、賓客を迎へんと歩み出る。
シテ 有難き姿拝まんと崇めたる、こは宗鑑なるかや、鑑師なるかや。
ワキ いかにも宗鑑はどちへと人の問ふあらばちと用ありてあの世へと、言はんばかりに頼うだる、その人ぞや。
シテ さてもさても、逝きて二百余年、ちと用もすみ、ここもとに舞ひ戻ったかや、奇遇なる出遭かな。いかないかな。
「有難き」の巻が巻かれることになった。
発句 有難き姿拝まんかはつばた 翁
脇 吞まんとすれば湧く石清水 宗鑑
第三 いざさらば句碑見に逸る心にて 芭蕉
四 つんぬめりたる竹藪の径 鑑五 名月に街中めぐり酒びたり 蕉六 初子授かり爽やかな風 鑑
初表六句を一夜庵に掛けおく。
(蛇足ながら、奥の細道冒頭もどき)
時代的に重ならない二人の俳人を観念の上で添わせ、もし同時代ならばこんなやりとり、の連句、両吟なるものを巻いたのではないかと幻想してみた。虚構が許される創作文芸部門の楽しみであるが、エッセーがフィクションを許容しなければ、ここに例示した拙劣な遊芸は引き下げなければなるまい。
おめでたい宗鑑。まじめな芭蕉。
方や俳祖宗鑑。方や俳聖芭蕉。
共に我が幻の父
芭蕉になりたい人はいる。宗鑑になりたい人はいない。なりたい人になるのはいい。なりたくない人にもなってみるのもいい。時代を異にする人の出会いは現実にはない。それでも虚構では合わせることはできる。バーチャル連句で室町末期の宗鑑と江戸中期の芭蕉とを逢わせる無謀を試みた。普通の感覚で言えば不自然なことも、連句や能の形を借りれば可能である。それは古来日本の遊芸でもあった。このような仮構世界に興味のない人はそれでいい。次元の低い、お遊びとみなされようと、それでもいい。
狂句こがしの身は竹斎に似たる哉
芭蕉はまじめ一方の人間であったかと言うと、それは当たらない。
借りて寝む案山子の袖や夜半の霜
同じく、袖を詠みこんだ宗鑑の句に次のような一句があって、一夜庵の傍らに句碑となっている。
貸し夜着の袖をや霜に橋姫御 宗鑑
奥の細道逆回りの旅から端を発した本稿。
旅は一人旅に限ると言い切る人もあるが、共にする旅・出会いの旅はを疎かにはできない。『奥の細道』の旅も二人旅、出会いの旅であったことを見落としやすい。
狂句こがしの身は竹斎に似たる哉
芭蕉はまじめ一方の人間であったかと言うと、それは当たらない。
借りて寝む案山子の袖や夜半の霜
同じく、袖を詠みこんだ宗鑑の句に次のような一句があって、一夜庵の傍らに句碑となっている。
貸し夜着の袖をや霜に橋姫御 宗鑑
奥の細道逆回りの旅から端を発した本稿。
旅は一人旅に限ると言い切る人もあるが、共にする旅・出会いの旅はを疎かにはできない。『奥の細道』の旅も二人旅、出会いの旅であったことを見落としやすい。
随伴者曾良の陰ながらの力は大きい。その感謝をこめての曾良挿入句でこの道文に厚みが出ている。また、道中で共に連句を詠み合った見知らぬ人。さまざまな出会いがあるから、それが楽しみで又旅に出るのだとも言われる。未知のものとの予想もしない出会いに充足感を覚えるのが旅の功徳。
自分なりの旅を作り出し、編み出す努力が必要になってくる。ガイドブックおすすめの旅にはない、自分の求めるテーマに応えてくれる旅の選択。初めからきめてかからなくとも、問題意識とか気にかかることへのこだわりにつな