二人の戦没・先輩詩人【清水健二郎】【森川義信】~時代を憂える~

 ① 軍艦長門で戦死【清水健二郎 】~人の住む星は転びつ~

 清水健二郎は、東京大学文学部仏文科在学中、海軍予備学生となり、海軍少尉に任官、横須賀に停泊中の軍艦長門の艦橋で爆死した。昭和二十年七月十八日、享年二十五歳だった。「運るもの星とは呼びて」から始まる旧制一高寮歌の作詞者でもある。この歌は、昭和十八年学徒出陣が始まり、キャンパスにも重苦しい雰囲気の漂う中、多くの寮生に愛唱されたという。

『旧制一高の非戦の歌・反戦譜』は、満二十三歳の若さで散った彼の生涯を作家稲垣真美が著したもの。

  平成六年刊、昭和出版、絶版) この時代に生きた者の「無償の行為」の意味を今一度問い直す問題作である。その象徴のようなものがこの詩である。彼がこの詩を作る魂の原点になったと思われる先輩佐藤憲一の手記「星の如く虹の如く」がある。「我々は虹の如く己が個性の可能性を具現せんとする一方、星の如く運命を信じて流るるままに流れてゆこう」とする生き方に共鳴し、時の流れへの抗いの末の一大決心があった。肩を組んで声高らかに歌う寮歌ではなく、戦時を生きる者の魂の在処を奏でる思想詩である。

 非戦の歌・反戦譜 ~運るもの星とは呼びて~ 旧制一高の寮歌 作詞 清水健二郎

運るもの星とは呼びて/罌粟のごと砂子の如く/人の住む星は転びつ

運命ある星の転べば/青き月赤き大星も/人の子の血潮浴びけん

紫に血潮流れて/ふたすぢの剣と剣/運命とはかくもいたまし

いたましき運命はあれど/この星の正義呼ばはん/陽の民ら命かしこみ

「大君の命かしこみ/愛しけ真子の手離り/島伝ひゆく」とうたはん(後略)

 

② ビルマで戦病死【森川義信】~時代の傾斜「勾配」~

森川義信の詩をめぐって 現代詩における生命頌歌の再発掘     

森川義信詩集』はまさに森川の墓標である。その数多からぬ作品は、戦争の影とともに成長し、ついにはその雲の上に消え去る運命を確実に予測した若者の、冷たく暗いけれども、痛いほど美しい生命の讃歌である。戦中、戦後を通じて、森川の詩に匹敵する痛切を保有した生命頌歌があっただろうか? 「Mよ」という呼びかけのある鮎川の詩、「死んだ男」や「アメリカ」を代表例にしてもいい。早い時期の戦後詩の生命頌歌は、失われた死者の生命に対する哀悼の形をとった。(衣更着信  著 『荒地』の周辺)

 戦死した親友森川義信の死を悼んで自らを「遺言執行人」と名付けた鮎川信夫  「死んだ男」の復活を願ってか、名詩「死んだ男」を生んだ。死に後れた戦後詩友への「墓標」であると同時に永遠の金字塔と言えるかもしれない。