菅原道真の讃岐在任時代

  道真の讃岐在任時代 仁和2年~寛平2年 (42歳~46歳)

 讃岐守に転出を命ぜられた道真の背後には、一種の政略的な匂いがある。唐風の魅惑の世界から遮断されて、南海道の風煙に赴かなければならない。彼は基経の励ましの言葉にも嗚咽したまま声が出なかった。やがて瀬戸の早潮を渡って、任地の国府庁での生活が始まる。思いがけない南海の自然に触れて、その風光を享受する反面、望郷の郷愁に駆られて、田舎の生活を厭う。

 杯を停めては宜(しばら)くは論(あげつら)ふ 租(いたしもの)を輸(いた)す法

 筆(ふみて)を走せては ただ書く 訴へを弁ふる文

 十八にして登科し 初めて宴に侍りけり

 今年は独りい対ふなり 海の辺なる雲(巻3 ・197)                                                                この冬に、傑作「寒早十首」の連作、「道に白頭の翁に遇ふ」の対話体の白話詩などが作られた。受領としての任地の生活体験は、彼の人間形成に振幅をもたらした。