小豆島点描

 やわらかな波が寄せてくる度に渚ではさわやかな音を立てた。その音はところをおいてそこここで次々におこる。波の色は空色であり、夕暮れの紫色を反射して筋のようにしま模様ができてくる。

 少し離れた措きいには余島が静かに坐っている。今日は眼鏡で見るので、島の木々が鮮やかに見える。遠く水平線のかなたは海と空が溶け合っている。漁船の姿は見えないのに、音だけが海の底から聞こえてくる。

 右側の小さな岬が海に映って、ずっとこちらまで影を落としている。その頂きは麦が黄に熟れて、それもわずかながら海面の色を変えている。

 さっきまで子供が五、六人いたのだが、もう一人になって、それでも渚の水に足を浸して、何やらさがしている。貝でも拾っているのやら。砂浜に腰をおろすと、夕方なのでししら寒い空気が首筋に触れる。

 ふり返ると、島山の上の方に雲がほんのりと赤い。夕焼け雲だ。うち寄せる波打ち際

をよく見ていると、崩れる瞬間の色が絵の具では出ない、深い青緑色である。近くに寄ってみると、青海苔が水の中を泳いでいる。

 この海辺に緑の屋根の小さな家が建っている。「渚」という姓だ。それがたとえようもなくうまい姓に思われる。家の前には大きな松の木が潮風を吸って立っている。

 余島をあらためて眺めると、やはりその大きさの加減が調和を保ち、芸術品だ。造化の神が海面に美の塊を散りまいたのである。

 与島は四島であるが、四つの島には団結力がある。親船が子舟を三艘を引き従えているようでもある。一見ゆったりとして浮んでいる、平和な小島の群とも思われて、実は主従関係で縛られているようにも受け取れる。干潮になると、大余島は仲余島と手をつなぐ。どこへもはせぬぞと逃しはせぬぞといったふうに思われる。(現在、おなじみのエンジェルロード)

 四海行のバスは島の西岸沿いに長浜まで行く。途中の伊喜末で降り、私は山路を登ってゆく。静かでほとんど人に出会わない。背に何やらかついだ老婆に会っただけ。峠を越えると、もうそこには長浜が見える。その集落は全く島裏らしくひなびた感じである。初めて眺めるかもしれない。私には抑え難い思いがあった。

 長浜はロング・ビーチと訳せるかとしゃれこみながら歩いて行く。浜からずっと山裾まで家が並んでいて百軒はありそうである。とりまく段々畑のてっぺんまで麦が黄に熟して鮮やかに丘を染めている。

 私は水彩絵の具を風呂敷から取り出して、浜辺に坐りこんで一枚目を描き始める。

「絵かきさんが来とら」と子供たちが走り寄ってくる。

 私の水彩画はたいてい二時間もすれば仕上がってしまう。筆洗の水を砂に捨てると、今度は山に向かって場所を探す。どこも皆絵になるようで、かえってここと定めかねる。

 私の付いたのは目についたのは古びた二階建ての分校らしい建物である。そばまで行くと、「四海小学校長浜分教場」と書かれた門札があって、なるほどと思う。小さな職員室で女の先生が一人日直をしているらしい。ベレー帽姿の絵かきさんを認め、人なつっこくこちらを見やっている。「この二階から絵を描きたいんです」と言うと、快く許してもらえた。眼下に見える一軒の家、そこから出てくる人をそっと見たくて上がらせてもらってることは誰にも知られたくなかった。

 小さな島の、小さな村の、小さな風景は私を捉えて放さず、こころの風景として収まっていくのだった。(随筆無帽131号 昭和49年9月刊 初めて同人誌に所属の処女作)