俳諧とこころ

俳諧のこころ』岩倉さやか
 
 支考は蕉門きっての論客である。
 俳諧の理念を初めて体系的に構築した人。「虚実の基本的な構造」「虚の顕現と時宜の問題」「人和ー俳諧と人の道」等を掘り下げるのが支考俳論の要諦である。
キーワード基本概念は【虚実】【時宜】【人和】から言葉の根源を探る。
「その豊かな文脈を後付けしていく営みを通して、「俳諧の心」とは何か。芭蕉の句が日本人の心のふるさとを感じさせるように、支考の俳論もそれに添って「心と言葉との連関」を掘り下げてくれるものである。芭蕉の求めた遙かなるものが、人の心の奥底に息づくものであることを伝えている。 
 支考が「そも俳諧の修行とは、其道をあとへ戻る事也」(『俳諧十論』)という意味は
真の俳諧とは「こころの原点」に返ることにちがいない。また、それは「心の結実」を志向することになるはずである。
「こころの結実」として、美濃派の作品を評釈しているのが、本書見どころの一つであろう。
 一例を挙げる。

  あふむくもうつむくもさびし百合の花   支考

 支考自画賛の「三兆頁(ちょう)図」に記された賛で、美濃派の正式俳諧では、この画賛を床の間に掛けて行われる。「三」とは、儒・仏・老荘の道を指す。「兆・頁の合体字(ちょう)」とは「うつむく」と同時に「うなずく」すなわちどの道にも納得することを言う。
 互いに独立しつつ、共通の「こころ」を含み持つことの大切さを言っている。そして、眼前の百合との距離、その「虚実」もまた追求していく。そのような念入りの論考が本書である。