人と作品の追体験

『鷗外の坂』森まゆみ
 
「プロローグ『青年』が歩く」から文章が快調に展開する。作中の青年小泉純一が東京方眼図に従って歩く。坂の上と下、東京の貧富の差を地方出身の青年は三十分で実見する。著者もその追体験として歩く。歩行は、鷗外自身が精神の自由を堅く守り、孤独を磨くための技術であったと著者は推測する。
 団子坂に明治25年鷗外の居宅観潮楼が新築された。はるか品川沖の白帆が見えるというので、潮見坂と言い、観潮楼と名づけたのである。現在は表門の敷石の一部だけが残っている。かつてのたたずまいを著者はそこに訪ねていって、いろいろと空想を楽しむ。
 名作『雁』に無縁坂が出てくる。岡田の日々の散歩は道筋が決まっていて、無縁坂を降って、上野の山に向かうこともありも、無縁坂から帰ることもある。無縁坂とは幸薄いお玉の人生を象徴するような坂の名である。いくら心に思っても、相手に通じない、縁が無いと受け取れる。実は、坂の上に浄土宗無縁山法界寺という寺があったから名づけられたらしい。「無縁坂」を訪ねてくる人は、鷗外の『雁』の舞台としてではなく、さだまさしの作詩作曲した歌で来る人の方が多いという。この歌もまた忍従の女を歌っているのは、奇しき縁と言わねばなるまい。
「坂」という言葉は人生の坂道を象徴するのにふさわしい。書名『鷗外の坂』も、鷗外自身の歩いた坂道とか、作中人物の通った坂道であると同時に、起伏に満ちた鷗外の人生と文学を簡潔に表すのに最適の言葉である。