聖徳太子は痴愚だった?

『逆説の日本史2 古代怨霊編』井沢元彦
 
「日本の歴史は怨霊の歴史」と言わしめているものは何か。著者の持論としている日本歴史学の欠陥「呪術的〈宗教的〉側面の無視」である。たとえば、7世紀に実在した厩戸皇子が理想化された「聖徳太子」に発展していく経過の中には「日本教」とも言うべき日本古来の伝統的宗教感情があった。仮に御霊信仰とそれを呼べば、それは仏教に影響を与え怨霊の鎮魂となっていく。日本は怨霊鎮魂こそ政治の最重要課題だった。
 聖徳太子の称号「聖・徳」は何を意味するものか。「徳」は中国において為政者に最も大切とされるもので、中国伝統の徳治思想がある。一方、日本は神人〈現人神〉思想で、徳ではなく、カリスマ的である。日本は神国であり、天皇がその中心をなし、別の霊力で邪魔する怨霊を鎮魂する。「聖」とは、本来怨霊となるべき人が、善なる神に転化した状態である。「聖」と「徳」の名をもつ太子の、日本の「まつりごと」の歴史における地位は、限りなく大きい。
 聖徳太子という人物が、日本史を語る中で最も重要な人物の一人であり、聖徳太子を語ることは、日本の歴史を語ることになる。厩戸皇子がなぜ「聖徳」なのか。この問いに答えるためには、この分厚い本の半分近いページを費やしている。
 聖徳太子は本当は実在しなかったのではないか、実在したとしても伝説の偉人ではなく痴人だったのではないか、それは今となっては確定できるようなものではない。上述したように一定の仮説が立てられるだけである。
 いずれにせよ、本書を読んだ読者は聖徳太子関連の遺跡、太子の墓のある叡福寺、太子が建立した四天王寺、また、温泉療養に行った伊予の道後温泉を訪ねたくなるだろう。