2020-05-01から1ヶ月間の記事一覧

香川県三豊市詫間町荘内三崎半島皐月風景

日本の風景ここにもありました。

粟島通いの瀬戸の内海

瀬戸の海粟島通いの船帰る須田港とは三豊市詫間

花の命は短くて苦しきことのみ多かりき

あなたから頂いた愛は永遠です。

「か・き・つ・ば・た」を折り込んだ和歌

〔折句〕 和歌・俳句・川柳で、五音または三音の語の一音ずつを各句の初めに置いて詠む歌 「かきつばた」を「〈か〉らころも〈き〉つつなれにし〈つ〉ましあれば〈は〉るばるきぬる〈た〉びをしぞ思ふ」と詠む類 唐衣着つつなれにし妻しあればはるばる来ぬる…

『大河の一滴』の中の「面受」

22年前に購読していて、今年また読み直した『大河の一滴』の中で「面受」に注目 人と人が直接向かい合って、相手の表情・肉声から心の触れ合いができるのに

カキツバタ(杜若)は万葉の花

かきつばた きぬにすりつけ ますらをの きそひかりする つきはきにけり 家持

大麻山の麓に先輩墓碑はあり

昭和20年8月6日中国湖南省にて戦死22歳 今生きていれば97歳

最長500文字の軍人墓碑

父母に囲まれて戦死者岡根勝の墓標 500字彫り込まれている。三豊市か高瀬町麻岡重 撰文・書は、恩師貞広保雄先生による。「民主日本ノ礎トシテ君ガ霊ヲ悼ウ」と結ぶ。

人生のmotto「和・介・健」

何をともあれ、和やかに、誰とも仲良く。されど、自分を見失わず、自立自尊、独りで生きられる。その両者を共に大切にしなければならない。「和して動ぜず」である。 そして、言うまでもなく、健やかに、心身ともに健康でなければならない。 以上、簡潔に、…

遠蛙天に谺(こだま)して平和村

遠蛙天に谺(こだま)して平和村 コロナと無縁爽やかな風 雅人

山時鳥を詠む

芭蕉『甲子吟行』の一句がよみがえる。紀行の前文「伊豆の國蛭が小嶋の桑門、これも去年の秋より行脚しけるに、我が名を聞て、草の枕の道づれにもと、尾張の国まで跡をしたひ来りければ」とある。陰暦四月、ちょうど今頃の季節、旅に最も快適な時候である。…

ソ連の国境に近い北満からのはがき

77年前の満州からの便り(このほか約200通)今も大切に保存しています。

ホトトギスの初音聞きたり

ホトトギス(杜鵑、学名:Cuculus poliocephalus)は、カッコウ目・カッコウ科に分類される鳥。キョ、キョ、キョ、キョ⋯と鳴く。 ホトトギーと聞きなし、鳥の名となす。香川県の県鳥である。ウグイスの巣に卵を産み付け育てさせる。いわゆる托卵である。今年…

これが墓地案内図のサンプルだ!

誰のお墓がどこにあるか、それがすぐ分かる図面を入り口に表示することが大切 母方の祖父母の墓地を拝まんと尋ねてゆけばすぐに見当たる

軍人墓地に「軍馬の墓」もありけり

三豊市豊中町笠田軍人墓地 ビリマにて愛馬戦死させたらし墓碑まで建てし帰還兵あり

花と蝶、その色合いに魅せられて

花と蝶その色合いに魅せられて採らむとしたる企み砕かる

『二十四の瞳』に出てくる「兵隊墓」

『二十四の瞳』の戦争の影について今更言い立てるほどのことはない。今最も関心のあることは戦没者の「軍人墓碑」のことで、その関連部分のみを取り上げてみる。 小豆島坂手の方なので、墓地は丘の上に墓標を建て「あたらしい兵隊墓」とした。 大石先生の教…

ガーベラ、その天性の美質

ガーベラ全般の花言葉は「希望」「常に前進」 「希望」「常に前進」の花言葉は、ピンクやオレンジなどの色鮮やかな花を咲かせ、明るく生き生きとした印象を与えることにちなむといわれます。 ガーベラ全般の英語の花言葉は「cheerfulness(上機嫌、元気)」…

黄菊白菊その他の花はなくもがな

【木曜日午後三時新浜で再調査】見逃さないで

隠者芭蕉が貴女を狙う

バナナとも言う人あれど芭蕉の身 虎視眈々と貴女を狙う

葉隠れのアオサギ(青鷺)

小魚をねらうか青鷺堤防に立ちて見下ろす財田川河口

今ラジオで聴いた感激を短歌にしました。

乳癌全摘ステージ零は戦死せし二十七歳の父のお蔭と 今НHKラジオで聴いたそのままを歌にしました「誰かのお蔭」 今こそが誰かのお蔭受けている「絆」感じる時だということ

梅雨期の気配「額紫陽花」咲き初め

咲き初めて額紫陽花の薄紅に乙女の頃の日が蘇る 花は皆咲き初めがいいと何気なく言ひしあなたはもう五十歳

貴重な海浜植物「浜撫子」花盛り

人知れず干拓地に棲む浜撫子特別保護区でないのが嬉し ハマナデシコ(浜撫子) 生育地=香川県観音寺市柞田町三豊干拓地海際 普通の撫子は「カワラナデシコ(河原撫子・大和撫子)それとはかなり違っている。

桜貝ひとつ去りゆく君に捧げむ

瀬戸内海 燧灘 桜貝の歌 うるはしき 桜貝ひとつ 去りゆける 君に捧げむ この貝は去年の浜辺に われひとり 拾ひし貝よ

鎮魂歴史遺産【戦没者墓碑】その碑(いしぶみ)との対話を

内地における戦時中の苦労など、大したことがありません。戦後もなお生き延びて平和ボケになっている人の食糧難を語ったとて何のことはありません。また、戦火をくぐり生還した人がどれほどの真実を語り遺したでしょうか。我々令和人が戦場の死闘を知ること…

幻の甲子園

太平洋戦争が勃発し戦争が人々の生活を蝕みつつあった中、昭和17年、突然文部省から「全国的なスポーツ競技会の禁止」甲子園大会の中止が決定された。「幻の甲子園」 大会期間中にはスコアボード上に「戦い抜こう大東亜戦」と掲げられ、選手のことを「戦士」…

プロ野球人「鎮魂の碑」

戦没プロ野球人【鎮魂の碑】 東京都文京区後楽の東京ドーム敷地内にある石碑。大東亜戦争(太平洋戦争)などで戦死した日本プロ野球選手の功績を記念したものである。 当時20代から30代だった選手・指導者の多くが徴兵され、また戦死していった。後年のプロ…

寄り添って雛罌粟(コクリコ)

遍路旅 君も雛罌粟(コクリコ)我も雛罌粟(コクリコ)