『二十四の瞳』の戦争の影について今更言い立てるほどのことはない。今最も関心のあることは戦没者の「軍人墓碑」のことで、その関連部分のみを取り上げてみる。
小豆島坂手の方なので、墓地は丘の上に墓標を建て「あたらしい兵隊墓」とした。
大石先生の教え子たちのもある。「共同墓地」とも呼んでいる。讃岐本土で「軍人墓地」と呼んでいるが、この島では今も「兵隊墓」と呼ぶらしい。先年、この島の知り合いに尋ねたところ、やっぱり「兵隊墓」と言われた。「軍人」は厳めしく、「兵隊」は庶民的で親しみがあって、いいなあと思うが、我々には「へいたいはか」とはとても言えない。