太宰治「新樹の言葉」

 今まさにじ新樹の季節にこの短編を読みたい。

 主人公の青木大蔵は、うだつが上がらない貧乏な無名作家。太宰の分身。東京での色々な恐怖を避けこっそりと甲府で仕事に取り組んでいた。ある日郵便屋の男が突然大蔵に声をかけ「幸吉さんを知っていますか、あなたは幸吉さんのお兄さんです」と言う。まったく心当たりのなかった大蔵が不安に思っていると、まもなく訪れた幸吉に「おつるの子です、母はあなたの乳母をしていました」と言われ、大蔵は乳母のつるとの幼少期の記憶が蘇ってくる筋立て。麻薬中毒と自殺未遂の地獄の日々から立ち直ろうと、懸命の努力を重ねていた時期の作品集。乳母の子供たちとの異郷での再会という心温まる空想譚。その中に再生への祈りをこめた「新樹の言葉」 「自愛。人間これを忘れてはいかん。結局、たよるものは、この気持ひとつだ。いまに、私だって、偉くなるさ。なんだ、こんな家の一つや二つ。立派に買いもどしてみせる。しょげるな、しょげるな。自愛。これを忘れてさえいなけれあ、大丈夫だ」と言いながら、やりきれなくなった。「しょげちゃいけない。いいか、君のお父さんと、それから、君のお母さんと、おふたりが力を合せて、この家を建設した。それから、運がわるく、また、この家を手放した。けれども、私が、もし君のお父さん、お母さんだったら、べつに、それを悲しまないね。子供が、二人とも、立派に成長して、よその人にも、うしろ指一本さされず、爽快に、その日その日を送って、こんなに嬉しいことないじゃないか。大勝利だ。ヴィクトリイだ。なんだい、こんな家の一つや二つ。恋着しちゃいけない。投げ捨てよ、過去の森。自愛だ⋯。