虚子一夜庵に来る(大正14年5月20日)

 下記の証言に感謝します。
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【参照】
       一 夜 庵 の 記        高 浜 虚 子
             ー俳誌「ホトトギス」(大正14年7月号)に掲載された記事ー
 山崎宗鑑がこゝに住まつて居つたといふ庵が、今でも讃岐観音寺(地名)の琴弾公園の山の中腹に残つて居る。観音寺(梵刹)の上の山の背を下ると其所に岩を伐り開いたところに萱葺の屋根が見える。其目立つて大きい萱葺の屋根が面白い。其屋根の下に古びた木柱に新らしい木を補填して旧型を存して居る。されば縁に腰かけた村人と話してゐる侘人宗鑑の面影も忍ぶことが出来る。六畳の座敷の次に四畳半の小座敷と土間の厨とがある。其四畳半の小座敷に宗鑑自作の木像といふのが祭つてある。見ると眼も鋭く面長の像である。さうして頭の図抜けて大きいのが目立つて見える。貞徳に被らせた長頭丸の名は此木像にもふさはしく思はれる。
 座敷に戻ると若干の遺物に短冊帖が床の間に置いてある。遺物の真偽はわからないが、短冊は多く偽物らしい。
 下駄をつゝかけて庵のめぐりを廻つて見ると六十歩ある。
 庭にある宗鑑の墓の花筒には花が無い。

    宗鑑の墓に花無き涼しさよ
 
    此屋根の葺き下ろされて涼しさよ


(付記)この時、供花は用意されていたが、虚子の方が興昌寺に入らず、いきなり一夜庵の方に行ったために、虚子に花の無い墓を見られたという。(俳人・森安華石談)