鹿持雅澄 10首
『万葉集古義』畢生の大著なり土佐の福井の鹿持雅澄
高知城城内にある愛妻碑旅の途中も妻想ふ歌碑
清貧に甘んじ万葉研究に一生捧げし鹿持雅澄
その名前あやかり付けし剣持雅澄似非国学者忸怩たるかも
古義軒も踏襲したる虚名なりそれでも隠れ蓑も身に付き
尊皇家鹿持雅澄土佐人の名より取りしと父の遺書にあり
『万葉集』全歌を歌絵にしたのみの浅墓なるかな剣持雅澄
俗にして濁る我なり雅にして澄の美名は名前負けして
名のいわれ当ててくれたる人はただ長い一生に僅か三人