日本最古の俳跡「一夜庵」・俳諧の祖「山崎宗鑑」

一夜庵(いちやあん)

 一夜庵は日本最古の俳跡で、俳祖山崎宗鑑が晩年住んでいた草庵であると言われています。創建は亨禄元年(1528)でその後何度も修復されましたが、ほぼ原形をとどめていて、観音寺市指定の文化財に指定されています。昭和57年滋賀県草津市姉妹都市と縁組になり、琵琶湖の葦が葺かれ、平成12年(2000)にも葺き替えられました。更に令和6 年(2024)にも葺き替えが予定されています。500年の歴史を持つ文化遺産を末永く継承されることが求められています。

山崎宗鑑(やまざきそうかん)

 寛正6 年(1465)近江国志那(滋賀県草津市)で生まれ、志那範重(弥三郎)と言われていました。室町幕府9 代将軍足利義尚に仕えていたが、義尚陣没後出家して山城国山崎の「対月庵」にしばらく住んでいて、山崎宗鑑と称されていました。興昌寺の梅谷和尚との縁で讃岐(香川県)の一夜庵に移り住み、ここが終焉の地になりました。「上は立ち中は日ぐらし下は夜まで一夜泊まりは下々の下の客」と長居の客を喜ばなかった歌です。天文22年(1553)10月2日89歳没、辞世は「宗鑑はどちへと人の問ふならばちと用ありてあの世へと言へ」と諧謔味があります。

イメージ 1

宗鑑 に対する画像結果