今更そんなことして何になる⋯

 毎日、電動自転車で三豊平野を走り回っている。北は荘内大浜まで、南は和田箕浦まで。軍人墓地だけでなく、一般墓地の中の戦死墓を訪ねて碑文を確かめる。大方は町村誌に記されている戦没者名簿で確かめる。記されていない町村は困るが、仕方ない。自分で見つけ出し尽くすのは、至難のわざである。先の尖った戦死墓ならば容易に見つけ  出せるが、家族の中に併記されているのは見落としやすい。             墓地は大体、山森などもの蔭に存在する。たまに国道筋にみてくれよがしに並んでいるのもある。前途ある若者が空しく朽ち果てた記録、いつ、どこで戦死したのか、それが知りたい。一人ひとり知りたい。手を合わし、写真を撮るに過ぎないが、英霊?と対話する。なんでMaskが必要か。いつも花を供えられているといいが、枯れていると肩身が狭いかもしれない。

 もうすぐ戦後77年夏、広島原爆、長崎原爆記念日終戦記念日が控える。