空襲の思い出

 近くに軍事飛行場が建設中であったので、米軍グラマン機の襲撃に遭いました。昭和20年一学期、国民学校に通う児童は防空頭巾を提げて登校しました。B29の襲来には警戒警報発令、警戒警報に神経を鋭がらせていました。地区毎の集団下校が行われました。各家ごとに防空壕に逃げ込み敵機の過ぎ去るのを待つばかりで、壕内で怯えていました。流れ弾で死傷した母子もありました。働き盛りの若い男性は戦場に兵隊に出征して、年寄り女子供の家が多い時代でした。800軒の村では200柱の遺骨なき位牌で村葬が行われました。

イメージ 1